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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

布団融解症

ある秋の日の夜、自分が布団に溶けつつあることに気づいた。少しずつではあるが布団の中に自らが溶けていたのだ。不思議なのは布団に溶け出したときには多少の快楽を感じているということだった。しかしそれと同時に絶望感も押し寄せてくる。私は今までにない浮遊感に陥った。
私はその年の夏以降大学に行かなくなった。行かなくなってから数カ月は自由を謳歌し、精一杯怠惰に無意味な生活を送ろうと考えていたがそうはいかなかった。私はこれまで何者でもない期間がなかった。浪人時代でさえ予備校に通い学生のフリをしていたわけだから非常に楽だった。誰でもなくなった状態というのはずっと大きなものにしがみついて生きてきた人間にとっては裸で道を歩かされているようなものである。怠惰に過ごすことすらままならなくなった私は次第に大きな拠り所を求めて布団と一体化し始めていたのだ。
布団融解はある種の万能感を得ることができる。一度融解し、作り直された意識は以前よりも遥かに万能であるだろう。しかし布団と一体化することは危険を伴う行為だ。自我が溶けていくと同時に思考は鋭利になる。それに伴って自らの存在そのものが融解され、また再構築されていくわけだが上手く行かなければ死に至ることさえある。自らが自らを溶かし尽くして元に戻れなくなった人間も世の中にはいるらしい。思考の深みというのは進めば進むほど狭くなっていて戻りにくくなる。私は少し覗くに留めたから元に戻ることができた。

 

少し時が経ったいま、幸せらしきものを感じている自分は半年前の自分を殺して事実を無かったことにしようとしている。今の自分の考えは半年前の自分が作ったものではなかったか。それを今の自分はまるで「自分が作った考え」を話すかののように雄弁に語り、誇らしげに街中を闊歩している。今の自分は借り物の思考を都合よく使って全く異なる行動をしようとしているのではないか。布団融解時にあった強さや知性はもうない。今はただ幼稚化した脳をぶら下げて一年前の貯金を切り崩して生活しているが、いつ尽きてもおかしくはない。貯金が尽きても気づかないのが幸せの良いところとも言えるわけだがそれに気付く時点で大して幸せではないとも言える。布団にうずくまって抑えられない思考が自分を溶かしていく。そんな幸せがこの世にはあるのだろうか。