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あやちゃん

食事観察学

私は人が食事をするのを見るのが苦手で好きだ。たとえば誰かと食事に行ってスパゲッティでも出て来たとしよう。きっとその誰かはスプーンの上でフォークに絡めた麺をクルクルと器用に巻いていくだろう。そこまでは良い。それから彼または彼女は丸く巻かれた塊を口もとまで運び口を開けてそれを入れ、口を閉じる。それからフォークだけが取り出される。

その行為の何が苦手なのかというと「食べる」という行為そのものかもしれない。しかし同時に行為そのものもまた好きなのだ。

多くの生物は食事をする。それを観察するのが苦手だが好きだ。その観察癖は小学生のときに始まった。私は都内にしては割と自然豊かな地域に住んでいたのだが、そこでは様々な「食事」が行われていた。学校からの帰り道よく見かけたのはカマキリによる食事だ。カマキリというのはかなり獰猛で生きた生物を捕食する。またカマキリは交尾後にメスがオスを食べる。その一部始終を観察していた私は気持ち悪いと感じたと同時に他の感情も存在していた。当時の私がそれを好きだったかわからないが、夢中で見ていたことは間違いない。
なぜ苦手であるのに好きなのか。
人というのは基本的に理性によって(?)自らの動物的活動をあまりおおっぴらにしない。トイレは仕切りが付いていたり個室になっていたりするし、寝顔を人に見られていると思うと何故か恥ずかしい。その他にも色々ある気もする。その理由としては無防備な状態を見せるというのは自らを危険に晒すことになるからだということが挙げられると思う。しかし食事にもそれは言えるのではないだろうか。動物同士で争いが起こるのは目の前に食べ物が置かれているときだろう。食事というのは危険を伴う行為であるはずだ。しかし食事を隠すということはあまり一般的ではない。そんなある種の矛盾した状況が目の前で起こっている。捕食者でありながら無防備な状態を晒した人が目の前にいるのだからそれを見る私は醜くも愛おしいようなそんな感情になるのだろう。
うーんなんか気持ち悪い。

 

カナマル 2019.05.03