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なぜつくるのか、それから

先日ですが、武蔵野美術大学を卒業しました。

4年間通った愛すべき学び舎を去ることに、実はやっぱりまだあんまり実感がなく、寂しさは少しずつ湧いているのだけど、それも想像による寂しさ、このまま時間が経っていくにつれて、近くにいた人々を忘れてしまうんじゃないかという、仮定によるものなので、それも肉体的な実感ではない。

しかし卒業証書を受け取り、そいつを丸めて筒に入れたということは、紛れもなく私が卒業したという事実そのものであり、それは揺るぎようが無い。

如何なる訳で、この1年間書いてきた黄金に輝くこのRecordともおさらばな訳です。このブログはあくまでムサビ生が奏でるものなので。

しかし私が書いてきたのは読み返すと、ホントにしょうもない個人的な事柄の記録であるし、他人に読ませたからなんだというものではない。

こいつが宇宙に届いた時には、宇宙人も絶対映画なんかやるもんかと思うだろう。ものづくりなんか誰がするか、と。

 

かくいう私だって、脳みそがまだ宇宙人で、宇宙語を喋っていたホゲホゲの四つん這いハイハイ時代が在った訳で、それがなんでこんな風になってしまったのか。実はそこに中身はあんまりないのです。

 

最終回ということで、いつもと変わらずですが、私にとってもターニングポイントなので、悩めるムサビ生らしく、なんで作ってんだっけ?ってことをお話したいと思います。

 

***

 

突拍子もなく、結論から行くと、言ってしまったからである。

「僕は将来、映画監督になってお話を作ります」

などと。脚本家になると言ったかも。ここら辺は曖昧だ。

 

ともかくそんなことを言ってしまった私は思った。

(あーあ。言っちゃったよ、お前。もうなるしかないんだぜ?)

 

そんなことはない。今なら分かる。落ち着けハブト少年。

小学校の頃、皆が語らされる将来の夢というやつに、一体どれだけの人がその言葉通りのものを目指すだろうか。

 

もちろん目指す人もいるし、ローリングストーンに生きてたまたま意外な幸せとか生き方を発見する人もいる。どちらも素晴らしい人生だし、そこに良し悪しはない。

しかしどうしたことか当時の私は、なんかまっすぐ生きねばならないと思ったのだ。真っ直ぐなものが好きだったし、どんなにボロボロでも何かに一直線に生きてる奴はかっこいいと思っていた。だから、そこで映画をやりたいと言ったからにはならざるを得ない。

そんな訳で特に他のものに心が揺れることなく、ここまできてしまった。

 

とは言え私一人の決断でそうなった訳ではない。

まずそういうものを志して進むことを許してくれた親がいてくれて

導くように先に同じような道に進んだ兄がいて

私の書いた下手くそな漫画や絵を見て面白いと言ってくれる友人がたくさんいた。

特に私を支えてくれたのは高校の美術部の先生だ。

 

高校に入って美術部に入り、初めて油絵を描いた。

部員の少ないガランとした広い教室で、イーゼルに50号を立て掛けてギリシャ神話の絵をひたすらに描いていた。一番好きなのはプロメテウスの話と、月桂樹になる少女ダフネーの話。

それらの私の創作物に、師は嬉しがってくれた。そしてルドンやボナール、ポール・デルヴォーなど素晴らしい作家たちと、彼らにまつわる長い美術史の一部を教えてくれた。絵を描く時は、テクニックよりも、絵と向き合う時の精神のあり方を説き、長い時間、私の疑問や不確かなことについての悩みに答えてくれた。

それまでものづくりに置いて、なんとなく手を動かしていた私に、芸術の方法と目指すべき目標を、つくることの楽しさを改めて教えてくれた。

自分自身も嬉しかった。思えば描くことについて、つくることについて話す相手は彼と出会うまで、ほとんどいなかった。本当に落書きみたいなものにも真面目にコメントをくれた。

 

また会いたいな。

 

「僕は美術っていうのは本当にひっそりと作り続けられるものだと思っていたんだよ。でも最近はどんなに一人になっても社会がずっと侵入してきて、社会というものの存在の強さみたいなものにね、すごく驚いているんだ」

 

定年近い齢で発せられるリアルな吐露を、いまだに忘れられない。

 

***

 

社会。

そんなこんなで大学に入った自分は一年の時に気づく訳です。「今更ながら、自分には芸術を目指すべき強い理由とかきっかけ何にもないなあ」と。ただ言ってしまったからってだけじゃん。と。この辺は私の映画の見方や作り方にも影響を及ぼしていると思うんだけど、最初に面白いと思ったのが映画だったから、映画と言っただけで、映画の形式やシステムに強い感動があった訳ではないんだよね。

この中身空っぽ問題を解決すべく、私はとりあえず作ってみる。というのを始めます。大学入っちゃったし作らんと分からんじゃろ。みたいな。

 

漠然と作りたいという気持ちだけはあったし、ここは美大という場所の良いところで、どんなものでも作品を出せば、私の知らない彼らの価値を、講評などで言葉にしてもらえる。

それを踏まえてまた自分の中でやりとりが生まれる。

いろんな言葉に出会いながら、しかし何を描くべきか、映画ってなんじゃ。映画監督とはなんじゃ。つくるってなんじゃ。とか引き続き悩みます。

 

そこで「作れない」こと自体を題材にした作品を作ることを試みて、それが3年次の進級制作で発表した『海、テニスコート』という作品で一応一区切りつきます。

ああ、大体俺ん中にある動力源ってこの辺の感情たちね。と。

 

で、同時に映画の一つの特性に気づく訳です。

映画ってのは絵とかと違って、価値を作る作業というよりは、既存の価値を映し出す、スポットを当てるっていう作業なんじゃな。と。

カメラは既にそこに在るものを写す方が得意なんだな。

しかし人間の場合はカメラが在るのが常なる状況ではないので、硬くなったりするんやな、既に在るその人から変容したりするんだな。と。

 

これが分かってちょっと映画の中で写したいものが変わってきて、卒制に活かされます。

 

社会。

既にそこに在るもの。我々がマザーのお腹から出てくる前に在るもの。それが多分社会なんだな。自分が高校時代までいた静岡の地で、自分を癒し続けてくれた豊かな自然の世界とは、正反対の歪な存在。

私には、特に大きなきっかけがなかった分、いざ外のことを見ようとすると、いろんなものが不思議に思えたり、分からなかったり、苛立ちを覚えることがたくさん出てくるのを実感した。

 

なぜつくるのかという話に戻る。

映画監督になるって言ってしまったから。というのは簡単で。それはどちらかと言えば「なぜ作りはじめたか」という問いの答えであり、今ものを作る理由にはならない。

簡単に作りたいから作る。そう言えそうな気がするけど、それもまたちょっと違くて。

 

楽しくなくても、作らなければならないことが在るから作る。

これが理由なんだろうなと思う。

 

映画にする場合はそれをそのまま、写さなければいけないが在るからと置き換えてもいいだろう。

 

それは、内側にある時もあるし外側にある時もある。内と外の摩擦の中にある時もある。

それで最近は、次はこれを撮れ、これについて考えろとか言わんばかりに、どうしても描きたいテーマが次々現れているように思える。

 

これは別に問題になるようなことだけじゃない。例えば愛おしい人だったりもする。

この人を写したいとか、この人たちと生きていた時間を残したいとか、そんなことでもいい。大学に入って本当にたくさんの素晴らしい人に会えた。

今も尚出会い続けているし、たくさんの愛がそこにある。

 

それも描かなければならないことだと思う。

 

というかそれが結構重要な気がする。悲しみと喜びの扱い方がフラットであること。悲しいからって悲しく演出する必要はないし、喜んでいるからって大げさに叫ばなくてもいい。

 

どこにも名付けれない時間を切り取りたいんだな。どんな名前もつけがたい感情が、タイトルになる時間が写したい。

 

蓋を開けてみたらなんてことはない。

少し導かれていて、そのまま細い糸の上をゆっくり渡っているのだと思う。

 

***

 

それから。

だから今、広いんだな。大学一年の時とは比べ物にならないくらい、伸び伸びとものを見れるようになっている。

これからのことは分かりません。しかし作り続けるしか道がないんだろうなと思っています。

あーあ、言っちゃったよ。そんなことないんだぜ、ハブト青年。

しかし、少年だった頃よりハッキリと作ること自体を肯定できている気がする。

今年から、私は東京藝大の大学院で映画をもう一度学びます。映画専攻の監督コースです。今までは自分で脚本を書いてきたけど、今回は監督のみに専念するわけです。自分に何ができるのか、何ができないのか、今からとても楽しみなんだな。

 

とりあえずはその為に、私は引っ越さなければならない。

今も、この文章を書いている上で、ハヅキムトウが私の荷物をダンボールに詰めてくれています。腕の取れたガメラとか、行方不明になっていた靴下の相棒とかを見つけながら。

 

最後も相変わらず長くなってしまったけど、こうして自分の考え方の何がしかを記録できたことを嬉しく思っている。ありがとう宇宙人。ありがとうゴールデンレコード。ありがとう鮃ちゃん。

 

またいつか会いましょう。

love

 

 

2019.4.1

 

ハブト