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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

割れて消えて

最近お茶碗が割れてしまった。それで何だか急にその茶碗が愛おしくなってしまって、しかし出来る処置も特になく、とりあえず怪我の元にならないように端に退けた。元々結構前からひびが入っていたなぁと思い返してみるといつから使ってるんだか覚えてない。多分高校か中学かの食う量が増えてきた頃に買ったものだったはずであるから、相当な付き合いだ。その間色々あったけど、毎日の食卓を全て事細かに覚えているわけでもなく、漠然とこの茶碗にはいったい何粒のお米が乗せられたのだろうと考えてしまった。

    前々から思っていたんだけれど、自分は目の前のことを良く見えてない。目の前のこと、今自分に降り掛かっている現実、理想。それらにようやくピントがあってくるのは既に目の前から消え去り、粉々になった後だったりする。そして、その粉々になった破片が妙に美しくて。失って始めて大切さに気づくとかまぁラブソングでよく聞く常套句だけど、失った対象というよりかは、その失ったということ自体を美しく思えてしまったりする。

喪失の美。古代の失われた技術とか、今はない海中都市とか、街中を歩いていると急に現れる廃墟とか。もう無いかもしれない赤色矮星。知った時には既に他界していたシンガー。夏休み中1人で向かうと必ず誰かがいた公園。ゲームの強さを友達と競い合っていた放課後。今では決して触れることの無いそういった類の記憶。かつての美しき思い出。あるいは残り香。残骸。

例えば、一人で廃墟に赴いて、壁や床や荒んだ残留品が放つかつての時間の匂いを感じるのが好きだ。膨大な時間の蓄積がそこにある気がして、五感とは違った場所で感じ取れるような、大気の震えのようなそんな感覚を覚える時がある。そこにあったもの。店だったらかつての繁栄ってことになるのかもしれない。家屋だったら団欒かな。そんな、人々の営みの輪郭だけが建物の残骸として残っていて、なんとなくその輪郭が包んでいたものを想像してはたまらなく尊く思う。

手に入らないということが付加価値になるプレミア品のように、喪失がさっきまで手にあったものに輝きを与える。手に入らないものが好き、ということなのだとしたらこれはもう大事件としかいいようがない。絶対に生きにくい。最悪すぎる。

これもう、今に生きてないのかもしれない。
体は今生きているけど、心はずっと何万秒も遅れて動いている。遅れて動いた心はさらに後ろ側に手を伸ばして、手に入らない!と言いながらその状態に笑みを零している。なんて変態だろう??

とはいえ失うのはやっぱり怖い。ほんとに手に残っていないものは、なくなったことにも気づかない。喪失の存在も確かめられない。記憶が消えたら、自分が消えたらそこに何が残るのか。何を残せるのか。少なくとも僕はかつてここにはあった、今はない。を感じれるくらいにはものを作ることでその輪郭を残さなくてはならない。これで何も作らず借金でも残した時には大笑いものだ。冗談じゃないなあ。
あーあ!明日にでも全部世界粉々に砕けてしまえばいいのにな。我が地球の砕ける瞬間を遠い星の人が見たらきっとすごく綺麗に思うだろう。45億年続いた喪失の連続、その果ての最後の総決算。きっと忘れられない光を放ってくれるに違いがないよ。