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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

おかあさん

「人生相談って知っている?

私は新聞を読むのにすごく凝っていた時期があってね、うちは読売新聞を取っていたのだけど、その記事は特に読むのを楽しみにしていた。他の新聞でいうと、『天声人語』のようなもので、いろんな悩みに専門家がズバッと目の覚めるようなお言葉で返してくれるの。「よく言った!」ってぬいぐるみでも投げてあげたくなるような感じの。

私、それに手紙を送ったことがあるの。お父さんが嫌いで嫌いで仕方ないんですって。高校三年生の時に。

送った手紙はシンプルな便箋に小さい文字でびっしりと。でもただの文句の羅列じゃないのよ。嫌いになり始めたきっかけとか、一番嫌いなところとか、でもいいところもあって、それはわかっているけれどどうしても嫌いで、憎いんだと。そういう風に書いた。書いているうちにね、少しづつスッキリしていった。私は誰かに、聞いて欲しかっただけなの。新聞屋さんか相談屋さんか知らないけれど、どこかの女子高生がこんなことで悩んでいるんだなって思ってくれればそれでよかった。だって、匿名で一年に365人(あるいはそれより少ない人数)の悩みしか聞いてくれないのよ。絶対にこんなとるに足らない女子高生の手紙を取り上げる訳がないって思っていた。

お母さんがその日は新聞を出してくれなかった。別に新聞を読まなくちゃ落ち着かないわけじゃなかったから、気づかなかったのだけど、数日後に見せてくれた。『これ、あなたが書いたんでしょう』って。

心拍数が上がった。手紙を書いてから一ヶ月くらい経っていたから、自分の書いた内容はもうぼんやりとしていた。書いた手紙の十分の一くらいにまとめられた記事の中には、読む人が読めば私だとわかるような文章があった。家族だけでなく、少し知っていれば知人もきっとわかるような内容だった。どこに住んでいる、イニシャルがなんとかさん(イニシャルだけが確かなんらかの変更が加えられていた)の切実な思いが綴られていた。

私、自分の書く手紙が結構好きなの。自分から手紙をもらいたいと思うくらいには。だからね、たいていの手紙はコピーを取るのよ。もちろんその長い二枚の複製を見れば自分が何と書いたかはわかったはずなの。でもね、捨てちゃった。そんな手紙を送ったことをその時の私はひどく後悔した。ひどく恥ずかしいと思った。自分の送った手紙が自分の心の濁りを映し出すようで読みたくなかった。だから自分の投稿にどんな返事が返ってきたのかもちゃんとは読まずに捨ててしまった。忘れてしまいたかった。でも、一つだけ覚えてる。

「あなたは本当は父親のことを好きになりたいのです」

って、そう書いてあった。

苦しくなった。今でも思い出すだけで苦しい。でもね、私はその回答を今までで一番的を得ていない回答だと思った。思いたかった。そこにあるのは父親に近い立場の人間の、きれいごとに過ぎなかった。どうせ200くらいあるうちの1をうまく組み立てて送った手紙の十分の一に対する回答に過ぎなかった。私はそれからも父親を嫌い続けた。そのうちに距離を取ることがうまくなったし、父親のことを嫌いなんて、大したことじゃないと思うようになった。

距離を取れるようになってからね、少し父親のことを客観的に見られるようになったの。そして私はすごく父親に似ていると思うようになった。思考が論理的なところとか、好きなものがはっきりしているところとか、オタク気質なところとか、絵を描くのが得意なところとか。面倒なことを後回しにして楽しいことばかり選ぶところとか、でも頭はいいところとか。

私、昔は母親に似ていると思っていた。母親のような人になりたいと思っていた。でもね、本当は父親にばっかり似ているの。自分があんなに嫌いだった父親に。でも私は自分のことが結構好きなの。これってすごく矛盾していると思わない?

母親。母親のことが私は大好きだった。母親の話をしていい?

最近私はとあるデュオが美しいサングラスの長身と小柄なギター弾きのライブに母親に誘われて行ったの。それはいい演奏だった。私はその二人組の熱狂的なファンではなかったけれど、純粋に美しい歌だと思ったし、彼らはすごかった。一番最初にね、彼らの路上ライブの映像が流れるわけ。その時一人はサラリーマンをしていてね、営業でいろいろなおうちを回っている途中に思いついた歌詞を裏紙にメモしていたそうなの。そんな風にふたりでいる人たちを見ると心が締めつけられる。

彼らはその時、オーケストラなしでアコースティックギターだけで各地を回っていた。それが彼らの原点であり、彼らのたどってきた道であり、この場を彼らはそんな風に捉えて大切にしているんだと思って私はまた胸を押さえていた。そうしたら母親が横から、

「オーケストラがないなんて、安上がりだよね」

と言ってきた。私はすっと覚めてしまった。どうしてこれが彼らの決意だってわからないのか。どうして物量でしか物事を捉えられないのか、そうだよね、そうだよね、あなたはこういうものの美しさを知らない。誰かに寄りかかって頼ってそうやって作品を作り上げることの難しさを知らない。辛い道を選ぶことを知らない。何も知らない。説明したってわからない。

そして帰りに食べたご飯屋さんで

「そんな感じの服、おばあちゃんが来てたわ。どうしてそんな古臭い服しか着ないの。もうちょっと普通の大学の人が着るような格好しなさいよ」

嘘だと思うでしょう?本当に彼女は私にそう言ったのよ。それは私が一番言われたくない言葉だった。彼女はね、何もすきなんかじゃないのよ。いいものと悪いものの区別があるだけで、誰かが何かにこだわることなんか考えちゃいないの。苦しい。彼女と一緒にいると。あんたのそれは正しくもないし優しさでもない、思い上がらないでって、思うけど黙っている。説明なんかできない。そこに存在しないものを見せることはできない。

私の母親はね、自分のスタンプカードにスタンプを押したいだけなの。目的地に行ってスタンプを押してしまえばもうあとはどうでもいいの。そこから何を得たかとか、何を感じたかは関係ないの。だから大して好きでなくても有名な人のコンサートに行くというスタンプを押せたのだから彼女は満足なの。だからあんなことを言うの。私は今まで彼女のスタンプラリーに付き合ってあげていたわけだけど、もうそんなに気を使う必要もないんじゃないかって思ってる。私はそんなカードをビリビリに破いてその辺の水路に足を突っ込む方がよっぽど幸せだわ。

そういう点においては今は私は父親の味方になることだってできると思う。それはとても辛いことなのだけれど。

どう思う?私は間違っている?まぁいいの、あなたにだってわからない。これはどうせ200あるうちの6くらいにしか過ぎないのだから。でも聞いてくれてありがとう。すごく嬉しかった。本当に嬉しかった。」