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メイ
あやちゃん

トワさんのはしっこ

 

来たる1215日。この日はトワさんの一回忌だ。去年のこの日、和田外和というわたしのおばあちゃんは、病院で息を引き取った。

ふたご座流星群の降った夜のことだった。

93歳。死因、老衰。きっとこれは大往生と言うのだろう。

わたしのことが「どこか親しみのある女の子」くらいの認識になるほどボケてしまってはいたが、病気もせず、ベッドの上で一番最後の日を迎えた。

 

わたしはトワさんの仕草や態度がなんだか居心地良かった。彼女の中に自分の一部を見つけたりもしていた。

細身ですこし骨ばった長い指。カメラを向けると、いやあよーと後ろを向いてしまう。編み物やステンドグラスを黙々と作っているけど、自分で着るわけでも売ったりすることもなくひたすら作るために作る。言葉がすくないけれど、ひとを拒絶する感じはない。

食べ物を本当に食べない人で、料理は作るだけ作ったら食事の時間は座って食べる人を見ている。親族で中華料理を食べに行くと、半チャーハンを単品で頼んで、その半分だけ食べる。(つまり四分の一チャーハン)

主張するわけではないけれど、はっきりと意見を持っている人で、どこか魔女のような気配もあった。

 

葬儀はおじいちゃんと、うちと、近くに住むいとこ一家の計10名ほどで行われた。埼玉の静かな町にある小さなホールで、ひっそりと。

トワさんは福島の会津で生まれ育った。わたしが生まれた時にはもう埼玉に越してだいぶ経っていたけれど、ボケが進んでいくにつれ、会津の女学生時代に帰るように、当時の話を始めたりした。

ふと思った。

会津にいた日々に、この最後の日のことを一ミリでも想像できただろうか。その当時の彼女は、まだその葬儀に参列した誰とも出会ってはいないのだ。

わたしの最後の日を看取るのは同じく、まだ見ぬ愛しい人たちなんだろうか。まだ足を踏み入れたことのない地で、最新のテクノロジーによる思い出ビデオなんかがVRで体験できるようになってたりするのかな。ウーンVR葬は超やだな。

はたまたもうすでに知った顔がいたり、生まれ育った場所にいたりするのかな。

要は、最終地点が必ずしも人生の集大成であるはずはなくて、その必要もなくて、生きているその瞬間瞬間に愛する人を惜しまず愛していられることが、生きていることの醍醐味なのでは、ということを思ったのだ。

生まれた時のトワさんを抱き上げた人がいて、女学生のトワさんときゃっきゃ遊んだ人がいて、長い時間を重ね合いながら共に暮らしてきた人がいて、トワさんの最後を見届けた人がいて。その全てを知っているのはトワさんただひとり。

なんだか生とは、自分の人生を知っているということは、自分のためだけに撮られた映画のように、贅沢なことだなと思った。

トワさん、あなたの人生の一幕をわたしにも見せてくれてありがとう。わたしも大往生、目指してみるね。

レストインピース!

 

 

(投稿を、ぽっかりと空けてしまってごめんなさい。また細々と、書かせてください)

2019.12.13  颯季