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国じゃないのでは

6年前に日本に来てから、もっぱら私のアイデンティティはイギリスにべったりと寄り添ったものだった。今までほとんど聴いてこなかったoasisとかblurとかブリットロックに手を出し、kindleを買ってもらっては向こうで話題の小説とかを読み漁ったりした。それまでは割とアニメとかも観ていたはずなのに、日本に来て欲求が満たされたのか、嫌になったのか、パタリと観なくなった。だから自分がどこまで本物なのかなと思うこともあるし、そもそも本物なんてないやろとも思う。

まぁそんな日本という偏った国で更に偏った情報にばかり身を晒していると、突如現れたものに度肝を抜かれたりする。そう、どんな動画、画像、文章にもアクセスできるらしい情報社会(できない。実際にはできない)で暮らしていても、幸い私たちの脳はまだ新しい情報に驚きを感じることができる!

60年代アメリカの音楽業界を描いたミュージカル、Jersey Boysが2014に公開され、DVDで観た私は度肝を抜かれた。いや、ここで夢中になったのは音楽なので、正確には肝ではなく心臓を音に鷲掴みにされたと言った方が良いのかもしれない。なんだこの軽くて素直でキャッチーな音は。ダンスミュージック的なものに免疫のない、イギリスと日本のハイブリッド人間は、このビートでまずやられる。コッパミジン。そんでもって自分のキャラに合わない、バックグラウンドとミスマッチな音楽に没頭していることにうっすら罪悪感を感じる。これがまた良い。玉川上水沿いの道を、サングラスかけてチャリで飛ばしてる感じで、心地良くないはずがない。

今でもたまに、夏の始めとかに聴いてはゾクゾクしている。                     これ今聴きたかったー。この耳の振動。                              こんなハッピーかブルーか二択の世界はありえないから憧れる。

 

この映画観た辺りかな、今なお考えていることが気になり出しだのは。国で文化とかを縛ることに限界があると思いだしたのは。

グローバル化がモリモリと進む前は、各国固有の美術、音楽、食etc.が色濃くて、だからこそお互い強い憧れや劣等感を感じたり、他の文化を壮大なインスピレーションとして見ることができた。しかし、それまでは小さな穴から覗いて見れる分くらいだった情報量が、今度は向こうから押し寄せて来て、穴もろとも壁をぶち壊し、ついには平らな水面で覆ってしまった。確かに、このフラット化の内容はアメリカ文化が中心だという見方もできるけど、でも実際望めばどこの国の情報も、音や画像、文字で入手することが可能なはず。それは例えばデザイナーの卵で言えば、どの国や地域のグラフィックを観て勉強でもコピーでもすることができる。みんながアンテナをそれぞれの方向に張っていれば、一人一人違ったインスピレーション源をもつことができる。こんな環境で、自分がたまたま生まれ育った「国」で作品のスタイルなど絞られるわけがない、と思ってしまう。

でも同時に、そんなに上手くみんなが自由を活用できてるわけないな、とも思う。何かが流行ればガサッとみんなそれに引っ張られるし、今の時点ではそこそこマーケットの大きい日本では、日本だけで売れればいいやという思考で作られるものはいくらでもある。結局、80%くらいの人たちは、同じものを見て育っているんだろうな。

それはかなりしょんぼりする見方ではあるけど、逆に決して輸出される事のない その国のひっそりとした場面があることも確かだ。なんて事のない町とか、そこの商店街とか、良い感じの古民家とか、趣味で集うコミュニティとか、夜になると出てくる動物とか。それは質としては差異があっても、イギリスにも日本にもあるし、どの国にも当てはまると思う。そういうところを大事にしていれば、ほどほどに自分の味としてどこかで滲み出てくるんじゃないかな。

 

アメリカが何をしてくれたかとか、イギリスだからこうとか、簡単だから言っちゃうんだけどね。

言わないで考えたり伝えたりできたらな。

 

HAZUKI 21.5.2018

p.s.写真はゴールデン街のThe Open Bookさん。                          リモンチェッロエプロンかわいい

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