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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

こだわり

服とか靴がすぐボロボロになる病気にかかっています。
靴下は履いた初日に穴が空くし、Tシャツはすぐ裾の紐が解けてびよーんってなるし、デニムは尻に穴が開いた状態で下北沢を歩いたこともある。靴はかかとの部分が壊れて硬い部分が露出し擦れて血が滲んだし、ニットなんて買った日には一瞬で毛玉だらけになるか、過って洗濯機に放り込んで縮ませてしまう。
自分はきっと身なりにこだわりが無いから、それが服の扱いに反映されているのだな、と思ったが、少し考えてみる。こだわりが無いか、と言われると、そうでもない気がする。むしろ自分は、服にはこだわっている方だとすら思う。
「こだわり」とは何か、と考えて、僕はずっといわゆる「オタク」的マインドを想像していた。つまり、こだわる対象のものには徹底的に詳しくなり、細かな分類や、歴史や、価値観を追求し、一般人ではわからないフェチズム的なニュアンスを深く理解することだ。

(参考)
しかしながら、「こだわり」には、少しばかりニュアンスの曖昧さがあるのではないか。
僕は生ハムが好きで、よくコンビニで買って貪っているのだが、冷静に考えて「生ハム好き」を自称しておいてコンビニの生ハムで満足しているのは、どうなんだろうかと思った。「ニワカ」と言う言葉があるように、好きなものには詳しくなければならない、という思い込みが自分の中にあって、かつ自分がその「ニワカ」的な振る舞いを体現していることに気づいたのだよ。しかしながら、僕のこの「好き」は嘘ではないという確信がある。生ハムはうまい。しかし、コンビニの生ハムで十分である。それ以上生ハムについて追求しようと思わないし、特に生ハムについて知りたいとも思わない。これは生ハムに対する「こだわり」と言えるだろうか。
さて、服である。僕は服に「こだわっている」と感じたのは何故かというと、今持っている服に愛着があるからだ。それを着ていないと安心できない気がする。閉店セールで2000円で買ったパーカーを毛玉だらけになるで着続け、高1の時に買ったよくわからないバンドTシャツを穴だらけになってなお着続けるのは、それらに対して「おしゃれ」や「身だしなみ」などと異なるベクトルの愛着があるからで、しかもそれは、それらに対する扱いに反映されないのだと思う。
僕にとっての服は「殻」に近いものだと思う。それは自分を守るためのものだ。「殻」として服に求めるニュアンスがきっと僕の中にあり、僕はそれを「こだわり」として知覚し得るのだと思う。そして、それは僕が服や靴を雑に扱うことを許してくれる「種類」のモノなのだ。
実際のところ何が「好き」ということで何が「こだわり」であってもいいのだが、多分、僕らのモノや人に対する価値観はそのように簡単な言葉で言い表せるほど単純じゃないということ。そして、多分生ハムに詳しくなくても生ハム好きって言っていいんじゃないかと言うこと。言葉って、それくらい適当でいいんじゃないですかね。

 

2018/10/17  アツシ