画像の説明
ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

三鷹よ、さようなら

顔を上げると、「三鷹」と表示されていた。

 

満員電車というほどでもないけど混み合った電車で誰かのブログを一人読んで、なんだかとても泣きそうになっていた僕は、なんとなく「三鷹」に惹かれてしまった。全然馴染みもないしどんな所かさっぱり想像もつかない街だけど。

インスタグラムで #三鷹 を検索してみる。

https://www.instagram.com/explore/tags/%E4%B8%89%E9%B7%B9/

三鷹、全然知らない街だけど、人が生きてるんだなぁ、と思う。この小さな四角の中の一つ一つ、誰かにとっての何か、それは僕が感情移入する余地がないくらい完璧で、投稿した彼らは僕が見ていることなんてきっと考えていない。その事実に、なぜかめちゃめちゃ感情移入してしまうのは、なぜだろうか。

無邪気に遊ぶ子供たちを見て、なぜか少し昔の自分を思い出したり、あるいは、今の自分を省みたりすることがあるように、自分と無関係に生きる人々の、その無関係さになぜか感傷的になってしまう。別に彼らと自分を重ねるとかそういうことでもなくて、結局僕たちは「生活」をしているんだということ。生活をして、圧倒的に無関係な人とか物事がたくさんあって、でもそれらも全て生活であって…何て言えばいいんだろう。

僕たちの生活って割と繊細でドラマチックであるという実感があって(人によるかもだけど)、SNS上でそっけない四角の一覧で表示されたそれらが、どうも途方も無い風景に見える。

 

気づいたら降りる駅に着いたので、たくさんの人と一緒に降りる。三鷹よ、さようなら。関係ない人たちが関係ないまま、車窓の景色と同じように日々が通り過ぎてゆく。

2018/10/03  アツシ