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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

無知を歌う

知らないってなんなんですかね。僕はまだ学生だし、膨大な知識がある訳でもないしものすごい経験をした訳でもない。「知らない」ことが山ほどある。

つい半年前くらいから、「知る」ことの喜びがわかってきた。それまでは、知ることにそれほど必然性を感じなかった。自分という主観が居て、自分の好き嫌いが全てだから、物事の裏側を知ることにそれほどの意味はないし、自分の好きなものを追いかけていればいい、そう考えていた。

きっかけは忘れたけど、最近はそうではない。「知る」ことは楽しいと感じている。自分の世界が広がって、物事の見え方が変わっていく、そう「知る」ということは見方を学ぶということだ。TEDのスピーチなんかを見てはそこで語られる内容について調べたりして、自分の知らないことに出会うたび、世界が広がったような気がした。

 

この間、The Yellow Monkeyの「JAM」という曲を初めて聴いた。やはり印象に残るフレーズは、歌詞の最後のパート

外国で飛行機が落ちました

ニュースキャスターは嬉しそうに

「乗客に日本人はいませんでした」

「いませんでした」

「いませんでした」

わざわざ客観的な解説をする必要もないくらいいろんな人が考えて、語っている曲だからそれに関しては言及しない。なので主観的な感想で言うと、僕がこの部分に感じたのは僕自身が「知らない」ということに感じているコンプレックスや無力感だった。事実を伝えるニュースキャスター、その語り口に感じる嫌悪感もしくは違和感、そして、その背景にあるのは多くの命が失われたという中途半端な「知らせ」に伴う膨大な「知らない」の出現だ。例えば飛行機が落ちたとして、津波がきたとして、飛行機がビルに突っ込んだとして、僕はそこで失われたものについて何一つ知らない。それなのに、「失われた」という客観的事実だけが、嫌という程鮮明に伝えられるのだ。

この曲を聴いた時、「知る」ことが「いいこと」なのかわからなくなった。「知らない」領域が山ほどあることは承知の上で、だからこそ楽しい、と考えていたけど、なんの関係もない僕がそれを知って何になるのか、むしろ知らない方がいいのではないか。

考えると頭がおかしくなりそうになる。知りたい、でも「いちばん大事なこと」は知ることはできない。TVでもネットでも、中途半端な知識だけがバンバン流れてくる。僕はそのカケラのさらに一部を抜き出して、知った気になっている。

ここで、はじめ僕が考えていたこととの矛盾に気づく。「知る」ことが「見方を学ぶ」ことだとしたら、「知らない」とはなんだ?僕が知ることができないのは、おそらく個人の主観的な悲しみや喜びであって、客観的普遍性ではない。

だとしたら、僕は「僕」であり続けるしかないのだろうか。僕は僕をやめられないと同時に、あなたも「あなた」をやめられない。個と個の関係があるだけだ。メディアを通して、僕が知らないという事実を知る。そして、そういう関係が僕とその人やものとの間に生まれる、ただそれだけ。

だとしたら、知らないことを知っていることが大事なのかも知れない。僕は何も救えない代わりに、それらを知らない(知ることができない)ということを知っている。

「JAM」では上の歌詞に続いて次のように歌っている。

僕は何を思えばいいんだろう

僕は何て言えばいいんだろう

こんな夜は逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて

君に逢いたくて 君に逢いたくて

また明日を待ってる

そうして歌は終わる。君に逢いたいと願うことが、生き延びる唯一の方法かも知れない。本当によかったと思う。「知らない」ということを拒絶したら僕が僕でなくなる気がするので。

 

2018/11/14  アツシ