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メイ
あやちゃん

目標

涼しいと空気の「抜け」がいい感じがして、今まで僕の周りにまとわりついていたモノが一気に消え去ってしまったみたいな気がする。それはそれで悲しい、とか思ったりするけど、夏の間ずっと相手にしなかった秋冬用のパーカーやシャツと久々に対面して、あぁ、戻ってきたなっていう感覚になったり。

 

ところで、綺麗にまとまるのって嫌ですよね。この世にあるものってある程度綺麗にまとめられていて、例えばファッションで言えば、ズボンとかTシャツは、それらがズボンとかTシャツとしてある程度見栄えするように綺麗にできてるじゃないですか。

というのは綺麗に縫われているとか、形がちゃんとしているとかそういうことだけじゃなくて、「ファッション」という価値基準がこの世の中にあって、その服を着る人が、その服を着た自分を見てもらう人間関係を意識した上でどう思われたいとか、社会的にどうだとかそういうことも含めてある程度の無難なセレクトをして初めて「その服を着た人」が誕生するわけですよね。そういう、背景にある「いろいろ」って、そういうことを気にして生きていくのが人間であって、主にそういう事じゃないとコミュニケーションって成り立たないわけなんだけども、僕はそれがどうしても嫌です。

好きな服を着たいとか、自分らしく生きたいとかそういうことでもなくて、「なんでそれがそうなっているのか」っていう力学がわかってしまうのが怖いです。

 

なんで今、カルピスじゃなくてコーラを買ったの?

なんでその服選んだの?

なんで今日、その時間に起きるの?

なんでこの学校にいるの?

なんで生きてるの?

 

こんな疑問なんてありふれてるのでしょうが、そこにある種の答えを見いだすことって、一つの「終わり」ですよね。要するに、解ったら終わり、悟られたら終わり。正直言って誰がどんな服着ようがどうでもいいですが、それがどんな価値観の元選ばれたものであって、その言葉がどんな意図のもと発言されたものであるか、考えて、想像して、なんとなく想像がついてしまう、その瞬間、ゾッとする。そんなものなんですか、世の中って、人間って、そんな、俺がちょっと考えてわかってしまうものなんですか、と。じゃあ絶望しかないじゃないですか。底が見える井戸に、一生養える分の水は入ってないですよ。

だから、うまくいっているものなんて実際には全然価値あるものじゃないと思います。失敗の方が断然いいです。ファッションだって、デザインだって、言葉だって、科学だって人間関係だって、うまくいっているものなんて、恐ろしいじゃないですか。世界の意図がわかってしまう、うまいこと有耶無耶になって誤魔化せていたものが、誤魔化せなくなる。TVの言っていることだって、そんなうまくいく人生ないのに、そんな上手くこの世の中機械仕掛けみたいに廻ってないのに、あたかもそうであるように、綺麗にまとまった価値観を押し付けてくる。そんなものは恐ろしいし、ましてそれに影響されて変化することなんてもっと恐ろしい。それなら無限に答えの絶対に出ない問いを並べ続けた方がマシです。

でも、そういう「いろいろ」をわかろうとしながら生きていくのが人間で、現に僕も、わかろうと必死です。矛盾してますね。でもそうしないと社会で生きていけないからですね。

 

わからなくあれよ、そして、わかろうとしろよ、でも決してわかるなよ、と。

 

それが目標です(なんの話だ!)。

2018/09/12  アツシ