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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

猫と犬がいれば全ては平和

滋賀に旅行に行った時、地元の喫茶エイトという喫茶店にモーニングに行った。そこに来てるのは全員地元のじいちゃんで新聞とか、雑誌とか、2人で来てる人は世間話大抵は競馬と近所の人のことを話してた。そのじいちゃん達が入って来たら決まっていう言葉は

「まいど」

「おはようさん」

「おはようさん

目覚めが良かったやろ、今日は」

「まあなぁ、目覚めよりもよう寝れへんわ」

皆んな来る爺さんは大抵こう言いながら席に座る

至極単純な作業、他愛無い、そして、深い意味もほとんどない、けど、そこでずっと慣れ親しんで暮らしてる人たちにとってはすごく大切なことのように思う。
毎日顔を合わせてるから、少しの挙動でどこが変か、何があったかなんて大抵はわかる。免許返納したことだってじいちゃん達はわかってた。
至極単純な作業なんだけど、あのコミュニティにおいては重要な作業のように感じた。

毎日そこに行き、コーヒーと卵、トーストを食べる、決まった順番の音楽を聴く、匂いもおんなじ、誰がどの銘柄のタバコを吸っているかなんて、きっと、ずっと知っている。その人がどんな音楽を聴くか、どんな車が好きか、何時に散歩するか、何を好きで食べるか、ほとんど知っている。知っているけど知らない。でも、その一定の暮らしが無いと、突然いなくなっちゃう、プツリって感じでいつのまにか消える、見なくなるようになっちゃう。そんな感じ、
滋賀の小規模なコミュニティでさえそうなんだから、東京とか大学で暮らしている俺たちが他人のことを知った気になっているのはお門違いすぎる、ましてや、知ろうなんて気になっているのは失礼すぎる。
だけど、知らなくてはいけないこともある。タバコの銘柄、好きな食べ物、好きな季節、好きな音楽、その人と話す時の距離感だって知らなくてはいけない。挨拶の仕方だって人それぞれに変えて生きている。

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という言葉があるけど、そんな事は無いんじゃないかな、色んな人がいていい、踊ってる阿呆もいていいし、見てる阿呆もいていい、その中をのらりくらりと笑いながら通り抜ける人もいていい、見てたら踊ってる人の中にすごく気になる人がいて、その人に突然手を引かれたら一緒に途中から踊る人もいていいし、踊ってる人にむかって怒鳴ってる人がいてもいい、ただその全員に共通していることは皆んな朝からそこいきている時間の間にかけてひとつくらいはいい事があってひとつくらいはやなことがあったはず、そんだけでいいと思う、ちょっと気になる人とか、こいつは絶対に気があう、とか、こいつはめちゃくちゃ良いやつだろうな、とかで近づいて仲良くなったりすれば良いと思う、悩みがあったとしたらそれを話したって良いし話さなくたっていいんじゃないかな、わからないけど、
とりあえず俺は世界中の愛しい人たちが皆んな朝と夜に一日2回だけでも良いから、犬か猫、なんでも良いけど、人間以外の存在に触れて、癒されてほしいと思う、犬と猫がいれば世界の大抵のことは平和だから

2019.8/7 温 大