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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

生活

皆んな生きたいんだ、すごいな。

 

消えるパンと水、養生テープを引き剥がす音、果てしのない雨が地面にぶつかって気が遠くなる。

わたしは自分のいのちより雨戸を閉めるときベランダに落とした初版本の方がかなしかった。生きられたらいいなとは思った。

中央線、ほとんど死んだような身体の奥底に皆んなこんなものを抱えていただなんて知らなかった、何だよ、勝手に裏切られたみたいなきもち。同時にわたしのやさしい部分が安堵する。そうしてもっと孤独になる。

こういうとき人間は人間になれるんだな。その辺に浮遊していた存在がちゃんと身体におさまっている。

次の日スーパーで綺麗に陳列された大量の食糧を目の前にして、わたしはますます気が遠くなった。今日も自分を生かすんだ、自分の手で、確かに。

何も買えなかった。

けれど夜に余り物で作った味噌汁はちゃんと美味しくて、ただそれだけだったから、わたしももっと愛してあげないといけないのだと思った。家もこの身体も、あらゆる容れ物をぴかぴかにして。

 

いちど近づいてしまうともう生きていることを意識しないわけにはいかないのだから、死というのはほんとうにやっかい。

料理をしたり食事をしたり、洗濯をしたり掃除をしたり、お風呂に入ったり寝たり。そういったあらゆる〝すごいこと〟を当然にこなすことができる生への疑いのなさがわたしの身体によみがえることは、もう、ない。

だからそのひとつひとつを丁寧に、とりこぼさないように、たしかめながら、いのりながら、このいやなにおいがこれ以上は濃くならないように、おだやかな波・なだらかな山・あす朝陽のなか出掛ける想像などを繰り返し繰り返し、わたしはわたしの行為ひとつひとつで生に近づく。

最高だったロケのかえりみち通った畑で買ったカブで味噌汁をつくる、ともだちの作った器に注ぐ、洗濯と掃除は早起きか夜更かしをした日の明け方にする、お風呂ではかならず蝋燭を焚いてあたたかな飲み物とともにタバコを吸う(しかもこれまたカップと灰皿はともだち作、最高だ)、よい夜を過ごした水曜の夜更けにはこうして文章を書くとか。