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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

*自分の言葉で語るには時間がかかります*

あいちトリエンナーレ・表現の不自由展 その後 が打ち切られてからしばらく経った。

ショックや再確認された失望、苛立ちなど様々な感情を巡って今思うのは

大学行きたい、だ。

せめてみんなと話し合いたい、色々な学科の人の話が聞きたい。

ゼミの教授はなんて言うんだろう。

普段ろくに話したことがないあの子はなんて言うんだろう。

大学を出てしまったら、こういった話は普通にできなくなるのだろうか。

 

言っといてなんだが私はこの出来事があってから、自分の意見というものに自信がなくなっている。自信がないというか、誰かとその話をした時に自分の口から出てくる言葉が、借り物ばかりで あっと思う。

うちは朝日新聞を取ってるので、展示に関する記事をいくつか救われない気持ちで読んだ。憲法学者、大学教授、ジャーナリスト(津田さん)などなど。皆リベラルなので名古屋市長や電話やメールでクレームを入れる人達を批判。どれも共感できる。どれも言葉の鎧や盾をくれる。。。それも凄いスピードで。

その後友達と飲みに言ったりしてあいトリの話が上がると、私はもうそれを使っている。だって自分をも説得した情報だから。だって意見がない=死のような教育も受けてきたから。

だけど今は少し立ち止まっている。

私が話した人達の中で、1人「よく分からないのが現状」と言っている大人がいた。

彼が私にどう思う?と聞いて、私が聞いたこと読んだことをだいぶ織り交ぜながら答えた後、そう返したのだった。

ちょっと咄嗟のことで、季節外れの風が吹いたような。

その後色々と(分からないと言いつつも)彼なりの考えを積み上げていって聞かせてくれたのだが、それでも。きっとその人は自分が無知、というか少なくとも全貌は見えていないのだ、ということをひと時も忘れていなかったと思う。

それが無駄にかっこよくて、輝いて見えて。でも混み合った事を語る上での大前提であることも知る。

読めば読むほど無知。知れば知るほど分からない。

勘違いと無知と経験による歪みを持って、また誰かと話してみたいと思う。

 

19.8.2019 mon

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