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「弱い映画」

誰にでも、「弱い映画」はある。

映画に関するウンチクを永遠と話せるおじさんや、辛口な批評ばかりするお姉さんでも、決して表には出さないけれど、「弱い映画」を持っている。
「弱い映画」とは、その題名が上げられた途端、それまでのおしゃべりは何処へやら、口をつぐんでしまい、とてもまともに論ずることができない、ましてや人と鑑賞するなんてとんでもない、といったちょっと破壊的な映画である。普段の自分の主張や、傾向ともイマイチ マッチしないのに、いやそれが故に感情的になってしまうのかもしれない。。
自分にはそんなトラウマ作品はない、と?
いや、きっとあると思う :3
もしくは、これから出会うはず。
私はというと、めっぽう「かぐや姫の物語」に弱い。
感情的なシーンでもそれ以外でも、涙してしまって困る。
映画館で観て、- 観ると言うより途中から身体の色々なパーツを抑えるのに四苦八苦し、
DVDで観て、今度は涙でぼやけて後半は地上のモグラ状態でよく見えなかった。
結局好きなのかどうかもハッキリしないまま、沖縄っぽい旋律の美しいサントラだけが耳についている。
ので、高畑勲展でもやっぱり困った。
国立近代美術館で2019夏に開催中の高畑勲展は彼の「アニメーション人生」のアーカイブで、アニメーション制作の膨大な資料(高畑さんはほとんど絵を描かないので代わりに構成を図にしたり、文章をたくさんたくさん書き残していたりする)やメイキング映像が流れていたりして、真っ当な仕事と向き合った、真っ当な展示だった。
順を追って全作品(「太陽の王子 ホルスの大冒険」「アルプスの少女ハイジ」「ホーホケキョ となりの山田くん」etc.)を紹介していて、画面で見る色面で分かれた動画とは質の違う、生っぽい線の原画もたくさんあって感動ものだった。
特にハイジのオープニングのハイジとペーターがスキップするシーンがあるが、あの動きの原画は、滑らかで温かみのある身体の線に幸福感あふれる表情が乗っていて、おなじみのキャラクター2人が踊っているだけなのに、脳だけで処理することのできない体験だった。心にまで届いてしまう表現て一体何なのだろう。
原画のもつ躍動感や臨場感は、高畑さんにとっても魅力だったらしく、そこから「かぐや姫の物語」のスタイルは生まれたそうな。メイキング映像の中で高畑さんは「アニメーションは嫌いなんです(笑)制限が多くて」といったことを言っていた。もっと墨と筆で描いたような、抑揚やカスレがある線を動かしたい。色も線も皆生き物のように、それぞれの意思やら何やらをもってうごめいている。そんな印象を受ける。
という考えが頭の中でムクムクしていたのは初めの内で、映画の映像に囲まれるかぐや姫部屋の中でだんだんとエモーションが喚起されてきた。展示を理解したいという理性vs???。
自分はかぐや姫に共感して入り込み過ぎているのだろうか。
いやいやいや。
似た苦しみを感じたことはもちろんあるけれど、それはかなり普遍的でこの作品に限ったことではない気もする。
息苦しい世界からの脱出とその失敗。それが生々しくも美しいビジュアルで迫ってくる感じ。
まだかぐや姫に対する弱みを上手く掴んで、しげしげと観察することはできない。
「弱い映画」は弱いままパントリーのような、安全で直射日光の当たらない所にしまっておくのが良いのかもしれない。
30.7.2019

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