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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

資本主義社会において物って何なん

今 素晴らしくマスクされたカルト集団に近づかれたら、自分は危ないと思う。

ここのところ何だか常にどこかしらが痛かったり調子悪かったりでたまらない。
また自分がフリーランス(というかフリーターか?)につくづく向いていないことに気がつく。
個人で制作していても、それを組織の中でできることの恩恵は大きいし、他者と絡むことで生まれるものって計り知れない。
寂しいだけなのか。
いや、ただ人と会うのに予定を立ててお金を使わないといけないのは大変だし、継続できるような生活じゃないと思う。
だから逆に夜のそのそと出かけて友達と会ったりすると、嬉しくて、つい飲みすぎてしまう。
このちょっとびっとダメな生活から抜け出すため、朝ジョギングウェアでもない格好で走ったり、映画何観ようかなとFilmarksを漁ったりしている。
健康を保つのは、つまんないようなことなのに難しくて、こんな時に頼りのないメンタルをピシャッと引っ叩いて、ぎゅっとハグしたい月曜日です。
さてさて、
花を買った。クレヨンで描いた太陽みたいな鮮やかな黄色の固形シャンプーをLUSHで買った。古着を買った。
消費活動は日常の一部である上に、必要最低限以上のものを買うことだってしばしばだ。しかも自分は、五感を刺激してくる物たちを非常に愛している。
でも、そうやって所有物や、ステータスに縛られ過ぎてはいないかい?と迫ってくる作品に出くわした。
デビッド・フィンチャー監督のFight Clubだ。
久しぶりに映画を見た上に、暴力、暴力&暴力なコンテンツだったためその晩は悪夢を見たんだけど、まあそれは置いといて。。
原作ありきの作品なのだけど、消費社会にがんじがらめになっている主人公の目の前に、ある日突然そんなことはお構いなしの、自由でマッチョだけどそれなり思想のある男が現れる話。そいつはボロボロの空き家に住んで仕事はろくにしないのだけど、ファイト・クラブという、戦うことでお互いの価値を認め合うカルト的な地下組織を作る。そこには病気や生まれや運で、社会的に見下された男たちが集まって、最終的には資本主義の権化であるクレジットカード会社を襲撃する。。。というあらすじ。
99年の映画なのでまだSNSやスマホを含んだライフスタイルではなく「物」や広告などで伝達される「イメージ」が中心の生活だったけども、それでも結構こたえた。
なんでマジョリティーは、自分の美容、肩書き、スニーカーのブランド、プロフィール画像、コーヒー、ランチ場所etcに神経をとがらせているのだろうか。
いや待てよでもファッションを筆頭に消費活動は自己表現じゃないか。そう思ったのだけど、実際に表現という次元にまで持っていってるクリエイティブな人は社会のごく一部でしかなくて、残りはみんなブランドの社会的な位置付けとか流行、機能で選んで買ってるので、あんまり関係ないかなと考えを転じる。
映画の中の主人公のナレーションで「どのダイニングセットが、自分を一番ぴったり定義づけてくれるだろう」というセリフがあって笑った。それから、自分も全く同じことを考えたことがあることに気がついてハッとした。ダイニングセットでなくとも、誰しも物に自分のアイデンティティを託そうとしたことはあるでしょう。現に私も、LUSHでマカロン型のシャンプーを選ぶのに随分と時間をかけた。蜂蜜とオートミールのは良い匂いだけど自分のペルソナに合わないし、青い海苔とレモンオイルのは見た目凄くポップで可愛いけど、ルームメイトが使ってるしな。。などなど。そもそもLUSHで買い物する、ということ自体がステートメントなのでもうお手上げです。
でもみんなが自分の持ち物を見回して、その内どれが本当に心に訴えかけてきた欲しいもので、どれがなんとなく「持っておく」ことが良さげで買ったものなのか、頭の中で仕分けしたら面白いかもしれない。それともFightClub的には物に愛着を持つことは、物に支配されることに繋がる、、のかしら。
物より先に中身を磨かねばっと思うことはよくある。とてもとてもハイセンスで古着とか品よく遊んで着こなせる先輩がいるのだけど、彼女がこっちであったイベントで、「いやぁ自分コミュ障だわ」と言って楽しめてなかったりするのを見ると、あぁ自分の身に着けている物の及ぼす影響って、実はそんなに強くないのかなと思ってしまう。自分もきっとまだ中身を増強するような物を選んでいるし、頼っているところもあるのだろうな。丸腰でも素敵な人間になる日は来るのか。こいこーい
—————人相の悪いブラピ—————–
11.2.2019 HAZUKI

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