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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

あなたの演技がすきだよ

28日金曜日、朝6時50分。徹夜明け。課題終わった。あと三時間もしないうちに講評か。シャープな秋の明るい朝日が差し込んで、散らかった部屋が光っている。最悪だ。ここ最近、家にいながら寝袋で寝ていたのでありえないほど肩が凝っている。冷蔵庫には酒としなびたネギと酒粕しか入っていない。寝不足でお腹がきりきり痛む。もうおしまいだ。お風呂に浸かりたい。できれば温泉に行きたい。それでふかふかの布団で8時間寝たい。やわやわのお豆腐とほうれん草のお味噌汁とか飲みたい。忙しくなると生活リズムが著しく崩れる。生活リズムが崩れると精神が蝕まれ闇落ちする。何百回も経験してきたのにやめられないのは、生活リズムの乱れすらリズムだと思っている自分がどこかにいるからだ。やめます。

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昨日の話。2限に大人計画の長坂さんがいらっしゃった。そのお話(対談)がすごく面白かった。大学生時代のこととか、演劇界のことについて。今と昔を比べると、演劇の社会的な盛り上がりは圧倒的に昔の方があって、今知ったわけじゃないけど、何度聞いても軽い、ほんとーに軽い、ベールのような薄さの絶望が降ってくるのを感じる。

最後に質問をした。

「“泣けて笑える”というキャッチコピーに違和感を覚えるというのに共感します。その原因として、今の風潮に、先が見えないものにはお金を払うことができない、というものがあるように感じます。なぜ演劇を観に行かないのか、というアンケートを個人的に取っていたことがあるのですが、その第一位は、何をやるかわからないから、でした。求められているのは、どういう展開で、どういうオチがついて、どういう感情の動き方をするのか自分で把握できる安心感であり、”泣けて笑える”はその象徴的なものだと思います。でもそれって違うと思って。演劇って、物語って想像できるから面白いじゃないですか。それをやりたいのに、求められているものは違うところにあって、私たちは、無理矢理にでも自分のやりたいことを押し通すしかないのでしょうか」

このことはなんでもないことのように思いたくて、思ってきたつもりだったけど、話せば話すほど本当は死ぬほど落ちこんでいたのだと自覚する。どんどん悲しくなって、喉がつまり、指先が震えて、目の周りがじわじわしていた。この人の意見を知りたかった。

少しの間。

「……あなたの周りに、あなたと同じような人がいればいいなと思う。あなたはきっと正しい。でもひとりだと、分かる人にだけ分かればいいや、ってなりそうだから。あなたに似たような人がいればいいなと思う。」

ストレートな答えではない、答え。でもストレートに響いて。

あなたの周りに、あなたと同じような人がいればいいなと思う。

います。いるんです。同じような人。一緒に演劇やろうっていってくれる人、やってくれる人。今やっていることを、信じればいいのでしょうか。未来が大きな口を開けて私を待っている。その中は暗くてがらんどう。照らしてくれるランタンは、どれ?

 

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なんだか好きになりそうだ、を観てきた。造形大。大学に入ってから、他の学校と関わるってなかったので楽しかった。一対一の関係はあるんだけど、学校ごとグループになって話すと、学校の雰囲気がわかりやすく形成されて違いが面白い。もう少し外に出るべきなのかもしれない。

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お酒の席にて。はぶとさんが「品があるよね!」って10分毎ぐらいに他の人に褒められていて、気付いたことがあった。パーとはぶとさんはよくわからないけどとても似ていて、その彼らの共通点がわかった、品のよさだ…………。

大好きなはぶとさんとパー。スラム街にいても元王族だということがなんとなく分かる、あの感じ。いつでも綺麗な食事をできる環境に戻れる、でもスラムも好きだしなあ、あ、でも次は水族館の飼育員やりたいかもなあ、みたいなあの感じ。嫌味くさくなくて、清潔な感じ。

 

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メモ(超メモです)

講評終わりaと話す。bのこと。私はbのこと何一つ知らなかったんだなと思った。勝手に自分と似た部分があると思っていた。私の思うbとは、魅力的な倦怠感を持つリアリスト。でもそれが違うとしたら?

a、自分はbと似ていると言う。意外。aは絵を描くが、それは絵を描くこと自体に救われるから、だと言う。(bも同じ理由で描くらしい)そしてそれは演劇も同じ理由。演じている100%の自分に救われるから好きなのだと言う。

人間はいつも100%では生きられない。演劇の完璧な息遣いを100%とするなら、普段の息遣いは60%だという(ここでいう息遣いとは、振る舞い、人間的能力のことを指す)。つまりaは演劇をする自分と生身の自分を別物と考えている。確かに役と役者は違うものだ。aは舞台上の100%の自分に救われるという。絵も同じ理由。絵の世界は100%自分の世界だから。確かに。人間は定期的に100%を確認して、安心したがる。演劇には、そこに自分が確かに存在するということや、存在意義を見ることができる。私は救われる、という感覚が分からない。

aは戯曲を書くのはすごいことだという。書き、それを信じること。難しいことだと言う。なぜか。

戯曲を書いてしまうと、演劇する自分が100%ではなくなるから。書くことは少なからず生身の自分が入り込むから。生の自分は60%だから、書いた瞬間完成された世界が壊れてしまうから。私はこの説明に納得する。

この説明の裏を返せば、生の自分を見せたくはないと言うこと。生の自分を信じて、信じきることは、人に晒すということは、痛みを伴うのだ。そっかー。aやbに感じた壁はここにあったのか。壁とは大人のたしなみとも言う。

私はそれに騙され続けないといけない。60%の壁に。きっと最後まで踏み込んではいけない世界。cのことを考える。私に似ているようで、bのようでもある。

演劇とダンスについて。私は演劇においての役者は、あくまで演出家のコマだと考えている。本当の意味で自身を表現したいのならダンサーの方が向いてる。

しかし今日、役者においての「個人」の可能性が見える。役者は個人の理想、100%を投影させることができる。同じ役でも演じる人によって雰囲気が違う。何故か。それぞれの理想が違うからだ。痛みはない。強烈な分厚い殻の形成。

ダンス、特に暗黒舞踏やコンテンポラリーダンスは自身の解放であり、0%の自分を晒す行為だと思っている。理性を脱ぐ。だから痛みを伴う。芯にある柔らかさを剝きだすことになる。それは本当に柔らかいはずだ。ふわっふわで、触れたら全てが崩れるような。

どちらの表現を選ぶかはその人による。100%か0%か。私は今暗黒舞踏に興味がある。演劇に救われる感覚は分からないけれど、なんとなく救われるならダンスなんだと直感している。

少しまとめ。演劇は人間的。ダンスはヒトという動物的表現に向く。(バレエは野蛮ではないが、目指しているのは天の上であり、やはり人外。バレエと舞踏は根っこのところで繋がっていると考える。)

私は? 私は自身のことを歩くメディアだと思っている。演じてる自分と私は延長上にある。いつも100%。不調の時も、100%の40%、という感覚。欠けた自分の発散はいつするのかというと、1人の時。1人の時、10%の自分になる。

演劇と生活が切り離せないので、生活が不調だと演技も悪くなる。影響が強すぎてこれは本当にだめ。わたしには60%の殻が無い。作らないというか、作り方が分からない。だから落差がすごい。また、10%の自分が闇落ちしていると100%の時、不意にその部分を露呈してしまって他人を困惑させる。

やらなければいけないこと。私も60%の殻を作る努力をする。50%でもいい。ちゃんと武装して自衛すること。努力はすること。それはマナーとも言うから。明るい建設を、明るく少しずつがんばってみる。あと、仕事上のbの活かし方を考え直す。読み込みの凄さは身にしみて思うから。

アー、もう、人それぞれ向き不向きがあるんだぜ!ってことを改めて理解する。反省。人の良いところたくさん観察していこ。

aは私を「絵の具」だと言った。aやbは「描く人」。描く人がいるから絵ができるのか?絵の具があるから絵ができるのか?どちらかひとつが欠けてもだめでしょう。両方あるから絵が完成する。

絵の具は使ったら無くなる。使ったらいつかなくなってしまう。それを認識すること。

演劇上のあなたの演技が好きなのだ、とかそういう感想について。ロボットが人間にとって変わったとしても演劇は成り立つ。認める。もうロボット演劇は上演されているしな。でもその人だからこその演技があるというのも、また事実としてある。

では、ロボットにはできない、人間だからできることとは何か? 人間の演技とは?

それは美意識。生身の自分が、生活の上で何を美しいと思うか。舞台の上に立った時、美意識は出る。光を浴びる中で、どんな正しさ、どんな動きを美しいと思うか。今まで培ってきた、年齢分の、思考分の、美意識が出る。上手い人は美意識がある。隅々まで分かっている。それは演出家だって指示できない部分だ。美しさは個人にかかっている。

「あなたの演技が好き」とは、じゃあ最大級の褒め言葉である。あなたの美意識が好き、あなたの生活が好き、その奥にみえない傷があるのだとしてもその傷がこの立派な壁を作っているのでしょう、であるならばあなたの傷さえ肯定したい、この壁を、作ってきた全てを。

生身の60%も、彼女たちの美意識によって建設されている。うーん確かに。例えばcの演技も、辿っていくと彼女の美意識に触れることができる。

ここまで書いてすごいスッキリした。納得、納得しまくり。そうか、そうなのかーーー美意識yeah…。自分だけの美意識を確立させること。私は何を美しいと思う?  世界にどうあるべきだと思う? 眼差しに、生き方に、自分に、友達に、歩き方に、何を求める?

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ここまで書いた上で、ムトウハヅキさんの記事(案ずるな、私は元気だ)の、ぱーさんのレスポンス(「演技をしているんだあなただってきっとそうさ」)へ、レスポンスをしたい。もうここまでの文章は一部、お返事になっているのだけれど。

あなたの壁はとても綺麗で、はじめて会った時は、それが壁とは気づかないほど、それは壁だった。それをつらいとは思わない。むしろ、薄い半紙の外壁をもつ城のような自分を幼く思う。

60%、いや80%の壁。それを築いてきた、あなたの今までの、さまざまな意識を思う。演技するあなたが作る100%の美しさは、人の心を掴む。全てを足したって、人生のうちで少ししかない上演時間の100%が、壁の内側にいるあなたを救えばいいと思う。私が知るよしもないところで、幸せになってほしいと思う。

 

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今週のサイコーの語録

「違うんだよ、離れてからあの距離はキスをする距離だったって気付くんだよ!」

「偶然を必然に変えるような」

「鮃さんはおれらをゴールデンレコードに入れろよyeah♪」(って造形の愉快な人たちに言われてすごい嬉しかった。姉妹版、シルバーレコードみたいなのぜひ待ってます。)

 

 

2018.9.29 鮃