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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

ことばまでの距離

わたしの最大の愛情表現は、言葉にすることだ。

友人たちへの愛情、恋人への、親への、運よく出会った人へのわたしができること、見えている景色や、出会ってしまった作品に好意を示す時、言葉にすることでしか、上手に思いをのせられない。歌えない、絵も描けない、器用にハグすることも、手に握れるような作品にすることもできない。言葉にすること、それだけがただ一つの尽きない欲求であり、わたしとわたしの世界を生かす光源なんだ。いつか誰かと別れても、届いた言葉は永遠だと思いたい。そこにわたしがいなくても、放った言葉のどれか一つが、その人を守ることができたら。本当は誰とも別れたくないし、この風景の前を去りたくない、けれど動かないわけにはいかないから代わりに言葉を置いて、行く。わたしの言葉はまだ生きていますか?

 

言葉を文字にするのが怖くなった。だんだん書けなくなって、書きたくなくなって、書くととんでもなく恐ろしいことが起こるような気がして、書かなくなった。スーパーカーは歌う。「何が見えるの? 何が見えても、後戻りしちゃだめよ。」何か見えたことがあるとしたら、言葉にすることで壊れるリアルがあるということだ。言葉にすることと、現実を生きることのどちらが大事なのだろうか。うぶ毛のように柔らかくて細やかな空気感とか誰かとの関係性を犠牲にしてまで、わたしは言葉にしたいのだろうか。わたしは何のために言葉にするのだろうか。

 

写真を撮る時、肉眼で見逃した風景。言葉にした時、指からこぼれ落ちてゆくニュアンス。インスタのストーリーのためにカメラを回されると、胸の奥底が一瞬冷たくなる。前はもっと鈍感だった、なぜこんなに過敏になってしまったのか、よく分からない。今わたしが、あなたと、共有しているごくささやかで重大な、感情や空気感が。カメラを回すまではわたしたちだけのものだった個人的な思い出が、散り散りになって拡散し、減っていく。ような気がして。それが震えるほど寂しくて、あなたといるのに一人ぼっちになってしまう。わたしは言葉にしてもいいですか。何か傷つけたりしませんか。失いたくない。

 

シューカツより卒業より、その不安をずっと弄んでいた。うまく言葉にできなくて誰にも言えなかったけれど、整理がついたころやっと人に話したら、その人は2分ぐらいでぽいっと背中を押してくれた。2分て。光らない電灯を半年間いじくりまわしてたけれど、最後の最後にそもそも電球をつけていなかったことに気づくみたいな。わたし、本当に電球をつけ忘れていたのだろうか。つけるのが怖かった。

 

2分って。カップラーメンができる前にもう一度走り出さないといけない。

 

 

 

2020.01.27 uo