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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

そろりそろりとダクトの上を

講評で泣く。
ゼミ分けされて、もっと泣くようになった。昨日も全体講評で泣いた。
涙の予感は背中からくる。ぞわっとして、慌てて舌を強く噛むけど、あ、噛むと痛くて涙が引っ込むからなんだけど、もう遅く、痛みよりも強い混沌とした言葉の塊が、内臓を吐き気のように押し上げて、目を熱くするより前に、大量の涙になって、しばらくとまらなくなる。
排泄物の中でもどうして涙だけが、なんとなく見せることを許されているのか? ここぞと言う時の「女の武器」なのか? 泣くのはダサい。できれば泣きたくないと思う。特に会議とかで涙を流しながら抗議する女にはあんまりなりたくない。男の人の暴力に代わるものが、女の人の涙だと思う。暴力はいけない。

しかし講評では、必死の抵抗も虚しく、毎度泣いてしまうので諦めた。その代わり授業が終わったあと、泣いたことへの反省と、どうして涙が出たのかを振り返るようにしてる。

二限が終わったあと、とりあえず鼻水を止めにトイレに走って、でも涙が全然止まらないのでそのまま家に帰った。玄関を開けてすぐ、靴を脱いで、キッチン前のフローリングに突っ伏した。 二時間半後、四限に出るために家を這い出る。鏡をみたらマスカラが全部落ちていた。

(癒されている。カタルシスがある。しかし焦っている。失う予感がする。嫉妬がある。悲しさがある。見放しがある。無力感がある。悲しい。焦っている。言葉の鋭利さに怯えている。不自由さに口を塞がれている。抱えるものの大きさに恐れがある。紡いでも紡いでも本質をつかめないような言葉、ただその言葉の多さと掴むものの少なさに悲しくなる。……絵が描きたい。不自由さ。悲しい。失う予感がする。私に言ってほしい言葉が誰かに渡ってしまったことへの思い。とっとと花になりたい。しゃべらずに、それだけで価値があるものに。)

話は変わるけど、昨日は友人の誕生日だった。夜、一緒にごはんを食べながら話して、ふとしたタイミングで嬉しくて泣きたくなって、ああきっと私は、涙のつまったダクト管の上を、歩いているだけなんだなあと思った。本当はいつでも泣きたくて、その管を踏み抜いてしまうかどうかは、その時々であるだけなんだな。

起きたら12月だった。なんだかしあわせな予感で満ちた朝だ。

 

鮃 2018.12.01

 

p.s.

沖縄料理の豆腐ようを初めて食べる。しま豆腐を泡盛で発酵させたつまみ。クリームチーズの塩辛だと、的確な例えを彼女がする。ポケットに入れておきたいぐらい美味しかった。