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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

ふつうにご飯をたべる

「食事」というテーマは私にとってとても難しい。安易に語り始めたら、その言葉の刃はブーメランのように自分へ向き、心をえぐるだろう。でも最近やっと、本当にやっと、「食事」との決着がつきそうなので、おそるおそるだけど、書いてみようと思う。

5年ぐらい普通の食事ができなかった。いろんなことがあって、食事は私にとってどことなく、ネガティヴな気持ちにさせられる行為の一つとして位置づけられていた。食欲という動物的な欲求を気持ち悪く感じたこともあった、人前で食べるのもひとりで食べるのも落ち着かなかった。ものを食べることへの不信感というか、「食事」がもたらす安心と不安のバランスが完全に狂ってしまって、いただきますの前はいつも心穏やかではなかった。お腹は空いているのに食べるのが怖い、自炊して食生活に関わっている自分が恥ずかしくて「自炊はしているのか」ときかれたらそれを隠してしまう。そのうち食べ物の存在が気になりだして、冷蔵庫に半端に残っている惣菜に腹がたつ、食事の時間以外の食べ物の匂いがしんどくてしょうがない。せめて表面的に食事全般を好きになろうと尽くしても、また嫌悪感に揺り戻されてしまう。心の余裕がなくて許可食材を食べられなかった時に立ち寄るコンビニは、いつも心をざわつかせて、食品棚を見上げるだけで泣き崩れそうになる。でも私は人間だからお腹が空くし、何か食べないといけない。から、とりあえず、私はあんまりいい奴じゃないのでと理由をつけて、その時だけは生活圏外に除けておいた食事を手繰り寄せて、箸を持つ。食事というものに生活臭を嗅ぐから嫌いなんだろうか。食事のたびに罪悪感と背徳感が入り混じって息がつまる。自分への罰としての、乖離感を抑えるための、もう嗜癖になってしまった食事。この心の葛藤はもう慣れっこになってしまって、「狂ってんなあ」と自覚しながらも抜け出せなかったのは、食への感受性のどこかが麻痺してたんだと思う。

それがここ一ヶ月ですごく落ち着いている。過去最長期間だ。5年間に比べたら、そりゃあ大したことない短さだけど。ご飯を食べても、変に胸がざわめかなくなった。

大きな理由がドンと一つあるのではなくて、小さなたくさんの出来事が積もり積もってここまで押し上げてくれた。効果として表面に現れない長い間も、いつかの安らかを夢見て、辛抱強く、着実に胸に降り積もってくれた。そして私は今その羽毛のような安らかに体を投げて、死ぬほどあたたかい気持ちでいる。

なんとなくだけど、私の周りには食事を大事にしてる人が多いような気がする。食費に高額をかけるとかではなくて、食事をもっとつながりを持った存在として捉えているようなイメージ。食事と身体の元気。食事と映画。食事とコミュニケーション。食事と自然環境。または食を一つの世界だと考えている人。腸内環境と発酵の世界をアツく語ってくれた人。インドカレーの沼に引きずり込んでくれた人。素敵な喫茶店に連れ回してくれる人。その人たちが語る食とそこから派生した別の話が、狭まった視野を少しずつ広げてくれる。お腹を満たすだけじゃない食の姿がある。私きっと満たされてなかったんだな。ぼこぼこに空いた心を埋めるために、無為に何かを口にしたって一つも埋まらないのだ。

はーちゃんが日本に帰ってきてこの間やっとお酒を飲んだのだけど、本当に楽しかった。私と食事の関係はずっとギスギスしてたけど、いつだって彼女の前では美味しくご飯を食べられた。食事を肯定する気持ちを抑えなくていいし、美味しいものを「おいしい」と言葉に出すのをはばからなくていい。食事を大事にしている人だからこそ、家に呼んだら絶対に(広い意味で)良いご飯出したいと思ってキッチンに立てる。はーちゃんと飲むお酒が一番美味しい。もう全然言い過ぎじゃない。

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最近よく会っている人に、ピクニックに誘われたので行ってきた。私はご飯担当になったので(彼女はコーヒーとデザート担当)、もうめちゃくちゃ頑張った。美味しくできますようにと、できるだけ丁寧に調理しているその時、誰よりも自分が一番癒されていることに気がついた。タンドリーチキンと、牛肉とアスパラのレモン炒め、ひよこ豆とマッシュルームのトマト煮。タッパーに詰めて、ちょっと重いけど紙皿じゃなくてきちんとしたお皿で食べようと思って平皿を用意して、赤いチェックのクロスを持って、出かけた。(しかしここで痛恨のミス、家にバゲットを忘れる、3マス戻る)

夏みたいに気持ちよく晴れた日だった。青々とした芝生にレジャーシートを広げて、お皿を出した。タッパーを開けると、食べていい? っていう声が聞こえて、その箸がすうっと伸びて、つままれていくひとつのタンドリーチキン、口に運ばれていくタンドリーチキンの後ろ姿を、すごく緊張して見おくったのを覚えている。おいしいおいしいって食べてくれて、もう言わなくていいのに、おいしいおいしいって言うから、ありがとうの言葉は変な感じに言ってしまった。ありがとうありがとう、こちらこそ本当にありがとう。その言葉に、その言葉を聞ける今の関係性に、お腹じゃなくて心みたいな場所で食べれることに、本当に本当に、救われてるんだ。

 

2019.06.20 uo