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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

トンネルで手をつなぐ

すれ違う誰にでも恋をしていたような季節、私はインターネットの向こうのとあるアカウントに憧れていた。いいねやリプライでコンタクトを取るどころかフォローもしていなかったけれど、検索窓にアカウントを打ち込んで生存を確かめた。それは誰からも忘れ去られた街で放送されるラジオのようにひっそりと今日も更新されていた。顔も知らなければ性別も知らない、ただ私よりもふた回りは年上だということ、プールに通い、文章がべらぼうにうまいことだけが情報だった。ありきたりだし、全て嘘かもしれなかったが、私に水泳用水着を買わせるには十分な動機になった。そのうちに夏がきた。ダンボールからTシャツを引っ張り出し、友人たちと花火をして、歩きながらお酒を飲み、とうもろこしを茹でるなどしていたら、あのアカウントは消えていた。

 

平日の真昼のプールは、人が少ないし明るくていい。準備体操もそこそこにプールサイドからつま先を水にひたすと、水温と体温が馴染む速度が体でわかる。適当な位置で天井を仰いで、そっと背中を水に浮かべる。本当はジョギングのように軽い力で何キロも泳いでみたいんだけど、泳ぐのはそれほど得意ではなくて、なんと背泳ぎしかまともにできない。足をばたばたさせて、白い天井の線に沿って、無心で端から端まで泳ぐ。頭をまっさらにするために泳ぐのだと書いてあったが、頭がまっさらじゃないと私は泳ぐことができない。悩みごとがあると体がこわばってしまって、腰から水中へ沈んでしまう。うまく眠れない日のじりじりした焦りのように、リラックスしなくては、という義務感でまた腰が重くなる。うまく浮かべない日が続いてつまらなくて、しだいに足が遠ざかってしまったけれど、今はなんだかあのプールが恋しい。ちゃんと泳げる気がするし、あの昼間のプール、反響するしぶきの音、水温が肌に馴染む速度とみずいろの光。梅雨が明けたら、もう私たちの夏だ。

 

いつかの海の光景がある。波打ち際で小山を作って、友だちは向こうから、私はこちらからトンネルを掘る。指先の土の温度がだんだん低く、ひんやりと湿っていくのを感じながら一心に掘る。片耳を地面につけて寝そべりながら、たまに向こうの横顔を盗み見ながら掘り進める。「もう少しな気がする!」地面の下の土の壁は薄くなって、相手の手の気配を感じるようになる。やがて笑い声と一緒に壁は壊れて、トンネルは一本に繋がる。そのとき、一瞬だったけれど確かに、トンネルの中で手を握り合った。

 

 

人間の関係に興味がある。それは、「わたし対わたし」「わたし対あなた」「わたし対あなたたち」の三つなんだけれど、前期の製作は「わたし対あなた」の関係性に夢中になっていた。上記のトンネルの話はその例みたいなもので、一対一の関係にはわたしとあなたでしか共有し得ない、第三者には分からないような感情やニュアンスが確かに生きていることを、何度も思い出したかった。あなたの心はどこにあるのだろう。一対一の時のあなたを信じたいし、信じさせて欲しいって気持ちがいつもあって、それは重いだろうか。トンネルの中で手を繋いだ事実を、誰に言うわけでもなく大事にしている。

 

 

2019.07.19 uo