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パズルの夢、ピクニックの話

夢の話

忘れられない夢をみることがある。朝がきて目がさめる。まだ夢の手形が残っている頭で歯磨きをする。もう昨日にはどうやったって戻れそうにない感覚、目が痛いほど白い新しい、手つかずの予感。一本まちがって世界の線を踏み越えてしまったような。そんな高揚とリズム感。夢のせいでまちがっていく、失敗する、そんなこと、あっていいのか。

夢は自身で見ることができる、唯一のわたしの外側だと思う。

今日は、いやさっきまで、パズルのような夢を見ていた。わたしは自分が寝ているということを知っていて、どうやら夢の中でネットサーフィンをしているようだ。それであるブログに漂着する。ヘッダーもバッグも#fffffで飾り気のない、あ、たぶんはてなブログかな、そんな感じの個人がやってるブログだった。そこには、わたしが知りたかった全てが書かれている。
わたしは興奮して、記事をクリックして読み、閉じて次のものを読み、読み、読み進めていく。神様の膝に座って、その手帳を見せてもらってるみたいだ。どうして人は踊るのか、どうしてコミュニティがあるのか、情報とは、傷とは、どうしてここにいるのか、人は巡り合うのか。そうした、ある面ではとても曖昧な問題を、曖昧なふうに知ることができた。言葉がなくても目線を合わせるだけで相手の感情がきれいに伝わる、あの感覚のように、その答えは曖昧に、でも肌によく馴染んで、心を満たした。
わたしは何度もそのブログのurlを記憶しようとする。わたしは今眠っている。これは夢、朝が来たら。思い出せなくなっちゃうから。真っ白なパズルのピースを迷いなくはめ込む手のまっすぐな動きを、ずっと覚えていたかった。

朝が来て、6時だった。寝たのは3時だから、この短い睡眠の間にわたしは随分いろんなことを知った。知った、は大げさだけど、とにかくオーバーヒート状態の意識の裏側をみた。答えの影を見た。曖昧に、でもきっと正しく。わたしは知らないようで、色んなことを知っているのかもしれない。わたしだけでなく、他の誰もが。細かくプログラミングされた世界を持っているはずだ。見えないけれど。そう、見えなければ、無いに等しいけれど。それは掘ればちゃんと当たるってことだ。とても明るい話だと思う。

 

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夜のピクニックの話

 

去年の今頃、上水公園(学校近くにある、三半規管のようなヘンテコな肌色の遊具があるとこ)でパンとコーヒーでお腹を満たす遊びをしたことがきっかけで、演劇ユニットが生まれた。たったの3人だけの小さな社会ができた。公式名は「ユニット夜のピクニック」。「夜のピクニック連中」「夜のピクニック一味」などにならなくてよかった。わたしはこの名前が大好き。ほどよくラフで、わくわくするでしょ。電飾のオレンジの明滅みたいな嬉しさ。かたい約束なんてしなかった。期待なんてそもそもしてなかった。ただ楽しかったから、それだけでよかった。指切りはしない。これからもしてはいけないと思っている。

今、次の公演について練り上げている。あいだあいだで、次の次の公演、次の次の次の公演について話す。ああ、戯曲が三本ちゃぶ台にいっせーのーで!で集まった夜があったんだけど、あれはすごかったな。鳥肌だった。空っぽの電灯を探すことと、新しいものがたりを探すことは似ている。新しい電球をはめることと、公演予定を組むことは似ている。電球を灯らせることと、稽古は似ている。そうして足元がちゃんと見えて、明るくなった道、安心して、どこまで歩いても悲しくならないように。

言葉を縫い合わせていく。世界と右の手のひらを、君のほっぺからぬぐい取った句読点で、縫い合わせていく。生まれた言葉で人を傷つけないように、誰かの傷を癒すために、劇場に放つことができたら。かきたい。まだまだ、うつくしいもの、狂気や毒、秒数ごとに薄まっていくたくさんの出来事や命を。

いい涼しさになってきた。ろうそくを灯して、お湯を沸かして、パンにチーズを乗せて、髪を風にそよがせながら、夜のピクニックを。

 

 

鮃 2018.09.21