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メイ
あやちゃん

本をひらくこと、関係を発明すること

私はLGBTQに理解ある人間でありたいと思っているし、実際女の人と付き合っていたけれど、東京レインボープライドのようないわゆる、LGBTQ関連のパレードに抵抗がある。当事者というと自意識過剰みたいで嫌なのだけど、『当事者』なのに避けてしまう。同じ界隈では当たり前のように出向く人がたくさんいて、それを羨ましく思ってしまう。youtubeでも行進の様子をアップするカップルがいたり、インスタの自己紹介の所にレインボーフラッグのマークをつける人がいる。画面上で見る行進はポジティブなオーラに包まれているし、歩く人も楽しそうだし、それは本当に良いことだし、偉いことだし、嫌味な気持ち一切なく、尊敬している。でも私は行くことができない。

地元でもLGBTQの行進があったらしいということをyoutubeで知った。正直めちゃめちゃ驚いた。
コメント欄には肯定的な意見が多かったけれど、いくつか否定的な言葉もあった。面白いことに、肯定的な意見より否定的な意見の方にグッドボタンが集まっていて、きっと「よく言った!」の意味を込めたグッドなんだろうなと想像した。アンチすることってなかなか勇気が必要だから。

その中のあるコメントは特に注目されていた。要約すると、“自分はヘテロセクシャルだけど、同性を好きになる人間がいてもいいと思う。 ただ、この人たちを気持ち悪いと感じる人は確実にいて、強制的にこの人たちを理解してくださいと書いてある看板を見せられても不快なだけ。”というもの。それは差別だと書き込む人もいたり、擁護コメントする同性愛者もいたり、結局「いろんな意見をぶつけ合えるきっかけにはなっている。」という匿名の誰かのコメントで会話は終わっていた。

私は結構その意見に同感してしまった。自分のセクシャルのことを恥ずかしいとは思っていないけれど、異性愛が普通だし気持ち悪いって人がいるのも当たり前だよなあ、と。目の前で差別的なことを言われたらグーパンチすればいいだけで、わざわざ人前でパレードしなくてもいいじゃない、と。中学生高校生だった時、いじられキャラの男子が「ホモだ、ホモだ」とからかわれるのはあまりにも当たり前の教室の光景だった。今は縁が切れた彼らの幻想に対して、私はまだ、「お目汚しすみません。」と思っているのかもしれない。

東京都現代美術館のダムタイプの展示はすばらしかった。胸がばくばくするような圧倒的な音楽センスと映像と。紙面上でしか想像できない舞台設計とパフォーマンスと。これが一体生だったら、どうなっちゃうんだろうと思った。

恥ずかしながらダムタイプは名前こそ知っていたが、過去どういう公演が打たれ、どういう人たちが集まったグループなのかは全く知らなかった。その展示で初めてダムタイプの中心人物の古橋悌二さんを知り、彼は35歳のときHIV感染による敗血症のために亡くなったことを知った。

見終わってから、もっとダムタイプについて、古橋さんについて、HIVについて、人権や表現について知りたくて、本を買った。そういえばLGBTQについての本を手に取ったのは初めてだった。

ページを繰ると、セクシャリティと宗教の歴史、悲惨な事件、現代のセクシャルマイノリティーが置かれている状況、日本という国の特性、いかに自分が無知だったのかを、痛いほど思い知った。パレードへの個人的な気恥ずかしさより、あまりにも無知な自分に、死にたくなるほど恥ずかしい思いをした。大したことじゃない、そんなわけなかった。

『「同性婚」が問題なのではなく、焦点は「異性婚」の制度そのもの(たたかうLGBT&アートより。谷口洋幸)』
『少数派と多数派は、固定化された区分ではありません。(あかたちかこ)』
『一見科学的とされるセックスそのものも強制異性愛的な規範によってジェンダー化されている(箱田徹)』

言葉言葉にグーパンされた気分だった。お目汚しすみません、なんて思ってる場合じゃなかった。正しく知らないと、議論すらできない。意見も言えない。表面ばかりを追いかけていたことを本当に反省した……。来年の春もパレードがある。おどおどしながらかもしれないけれど、その会場に行ってみようかなと思った。

展示には考えるための本当にいいきっかけをもらってしまった。来年の2月16日までやっているようなのでみんなもぜひ。

 

付き合っていた人とは、恋人契約を解消し、名前のない関係になった。二人でお好み焼きを食べ、あーだこーだいいながら、新しい関係の取り決めをして、そして祝福した。無理に名前をつけるなら彼女はパートナーである。恋人からパートナーへの転身。私たちの間には二人だけの共通言語があり、それを守れたことをすごくすごく誇りに思う。古橋さんの言葉を借りるなら、人間関係を「発明」できたこと、曖昧さを曖昧なまま輪郭をつけられたこと。私は今ちゃんと生きている感じがする。とても幸せだと感じる。

 

2019.12.09  uo

 

p.s.気づけば101記事めです。たくさん書いたなあ。読んでくれる人ありがとうございます。

p.s.2 行けなかったのは、自分の正当性を自分で信じられなかったのと、人の視線に傷つくのが本当に怖いから。私はこの「行きにくさ」に、日本が辿ってきた歴史も一つあると思う。ヨーロッパ諸国は、ソドミー法(同性間の性的接触に刑事罰を科する法規定)の非犯罪化→性的指向による差別禁止法の撤廃→法制度による同性同士の関係性の承認(同性婚)、と承認活動までに2ステップ踏んでるわけだけど、日本にはソドミー法も、はっきりとした差別禁止法もない。一つ一つ踏んできた抵抗の歴史が抜けているから、パレードまで気持ちが結びつかないんじゃないか。「海外の真似事みたい」という意見も動画のコメントにあって、ちょっと分かってしまって難しい。どっかんと一つやるのは逆に差異を生みそうで怖い。より日本に馴染む方法があるんじゃないかと思うけどそれがなんなのかわからない。もしかしたら地域型の小さなコミュニティがもっと点在すればいいのかもしれない。私もできるのならそのコミュニティ形成の力になりたい。