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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

祈/折

「今現在の自分を作っている人間はちょうど五人、五本の指に収まるものだ」という話を聞いてから、季節のたびにそっと指を折る。

まずはおばさん、ずっと心のヒーローだ

それから教授

友人であり、同志でいてくれるあの人

恋をしている人

3歩先をゆく先輩

 

核になる人、心の師、同志、支えてくれる人、憧れの人。この五人をミニチュアサイズに小さくして肩に乗せる。乗っている、と思うと、わたしは大丈夫、大丈夫だって思える。本当は足の指を入れても足りないぐらいたくさんの人から影響を受けているんだけどな、と思う。それが歯がゆくもまた、心を温める。不安になる夜は、目を閉じて。指を折って、眠って。

 

 

 

どんな言葉がわたしを一番傷つけることができるのか、よく解った上で言葉を吐く人がいる。その人自身よりも、その機能を軽蔑する。その機能は言う、「あなたが夢を追えば追った年数だけ、社会人としての価値がなくなるのよ。」と。傷ついてはだめなのに、やはりしっかり傷ついてしまうので厄介だと思う。価値って何だろう? それは本当に比例するものなのか、……夢? わたしが生きている事実は、常に何かを失い続けている状態なのだろうか。
思い出すのは生活課の受付の風景だ。学内で演劇をするとき、生活課に申請を通すのが最初のハードルだった。こんなところで頭の容量割きたくないのに、もっと公演内容について考えたいことがあるのにと、話を聞きながら目の端で捉えていたデスク向こうの白い時計は、大抵16時過ぎを指していた。
生活課も、軽蔑する機能も、わたしを試している。試されている。それでもやりたいかと尋ねてくる、問いかけてくる。その問いに真っ向から答え続けたいと思う。

 

 

 

自信過剰になってしまうのが怖くてやってきたことを振り返らないようにしていた。
でも、4年間の過去作品の整理のタイミングで、昔書いた文章、日記をざっと遡ってみたら、泣いちゃうほどはげまされて良かった。走り続けろ。のフライヤーのテキストは特にギュッとエネルギー補充できるから、三週間ぐらい壁に張っちゃったりしている。昔の自分は他人だと思っているけど、この言葉が確かにわたしから出たのだと思うと感動するというか、リアルな夢から自分の本望を知ったときの感情に似ている。


過去の自分の言葉が、祈りが、宣言が、今、ガンガンと胸を叩く。叩いて、不安で固まった扉を押し開けようとする。背中を押す、風を送ってくれる。びっくりした。わたしはまだ書いていたい。未来の自分の肩を叩くためにも、前に進むためにも、書いて残して、たまにはげまされて、生きてる間は生きていたい。初めて自分の速度を得た日のたのしさ、絶対忘れないでいたい。

 

 

 

uo 2020.02.12