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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

運命について

幼稚園のとき泊まりに行ったおばあちゃん家の布団はうまく眠れなかった。そのとき私の布団に滑り込んで、私が眠るまでガラケーのテトリスで遊んでくれた人がいた。その夜は一度だけだったけれど、その人の無邪気なやさしさと布団の中で光る液晶が特別で、こんな歳になってもその事だけは褪せずによく覚えている。その人の温度と、一列揃って消える正方形、ガラケーに釣り合わない私の小さな手。あの夜は安心して眠れた。

この間、遠い所に住むその人を訪ねてきた。春になる前の雪解けの季節、年に一回がなんとなくの自分の決まりになっている。この一年の成績表をもらいに行くような妙な心持ちで夜行バスに乗る。テトリスで眠らせてくれた人はいつしか私の憧れの対象になって、心の中で特別な地位を占めていた。

その人に会うと、運命を知る人、って言葉がかなり具体的に頭に浮かぶ。普段は信じない運命を信じたくなる。

私の思う運命というのは、誰と結婚するでしょうとか、この歳に幸運の風が吹くでしょうとかの、人生の良い悪いの予言ではない。ただ何を好きになるかだと思う。何を傾向として好きになるか、何に世界を見出すか、生まれた時に胸に埋め込まれたそれを、一生かけて探しているんだと思う。何が一番好きなことだったのか、それは死ぬ直前にしか分からないけれど、今好きだと思ってやっていることは本当はただの前触れで、好きじゃなくなる可能性もなくはないけど、今それを考えている場合ではなくて、目の前の好きなことに真摯でいるしかない。埋め込まれたそれは賢くて、そして好きになったものは全てが大きな弧を描いて端と端が繋がっているから、それが運命だったら、どこへ行ってもそれは追いかけてくる。待ってって言って、手を伸ばしてくる。無駄なことなんかなくて、やってきた全てはひとつの事柄と世界に向かって続いている。土星の輪が、星になり損ねた氷や岩でできているように。
世界はどこにでも転がっている。この馬鹿でかい地球スケールの世界も、レーズン一粒の世界も中身は大して変わりない。日本語の半濁音であれ、二拍子のリズムであれ、数字の3であれ、虫の甲羅であれ、見た目は違えどそこに共通する世界の仕組みがあって、どの形式に自身のチューニングが合うかだと思う。

一年ぶりにその人に会ったら、その人が辿った道を見たら、やはり運命というものがある気がしてならなかった。好きになる世界があること、それはちゃんと引っ張ってくれること。テトリスの夜みたいな安心がある。私は大丈夫だ。大丈夫、大丈夫、大丈夫。今好きなことをいつまでも好きでいられる保証はないけれど、いつか離れても私のこと追いかけてね、待ってって言ってね、置いていかないでって手を引っ張ってね、ほんと、頼むよほんと。

 

 

鮃 2019/03/09