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ぽ
メイ
あやちゃん

好きであり続ける限り

よかったものをよかったと、きちんと感じた通りに言葉にして伝えられるようになりたくて、でもこのゴールデンレコードを書き始めた当初はそれが出来なくてもどかしくってたまらなかった。

ここで少しづつ文章を書き続けていくことで、あの頃よりは、自由にいいと感じたものをどんな風によかったか表現できるようになったと思う。

そんな私の成長の場となったゴールデンレコードでこうして文章をかける機会ももう残り少ないのでいいと感じたものを、長かろうが短ろうができるだけ書き留めておこうと思う。せっかく少し自由に伝えられるようになったことだし、私はいいものを見たときに感情が爆発した勢いで熱いハグを交わしたり握手を交わしたりがなかなかできないし、その場で伝えたいことをまとめて伝えれる脳みそもないから、じわじわと広がる余韻をしっかり噛みしめながらゆっくり言葉にして解いていく。

先日Fukainana というバンドの活動休止前ラストライブが深夜に行われた。

私がこのバンドを知ったのは今年の5月。今年に入ってから音楽で生きている人への憧れが加速し、自己の解放を惜しみも怖がりもせずやりきる姿が美しくてたまらなくてその姿を見るために様々なライブに行くようになっていた。

Fukainanaのライブに行こうと思ったのはメンバーの一人が小学校の同級生だったから前々から気になっていたのと、ある日ツイッターでラブリーサマーちゃんがめちゃくちゃかっこいいと褒めていたことがきっかけだった。

でも正直なことを言うと私はあまりバンドの音楽を聴いてこなかったので初めて見に行った時のライブは音が全然耳に馴染まなくてただただ膨大なエネルギーに圧倒されて帰った。

それからたくさんのいいバンドを教えてもらって聞くようになり、バンドの音楽の魅力が徐々にわかるようになっていった。

ロックバンドって漠然と激しくて暑くるしい印象が強かったけどそんなことなくて、弾き語りの音楽は言葉がすっと入ってきたり、歌っている人の感情や背景が色濃く感じられるのが魅力的だけれど、バンドの音楽はすごく色彩豊かで季節とか、ざっとした感情や風景、風や香りが吹いてくるようで、窓を開けながらドライブしている時みたいに、私はその場で居座っているだけなのにみるみる景色が移ろってその度に目に映る色が変わって行って、聴いていると温度も天気も匂いも勢いよく駆け抜けて行くような感じがする。私の手を強く引き、行ったことない世界へグイグイと引っ張って行ってくれる感覚がある。

ロックバンドの音楽に魅了され始めてから行った二度目のライブではすっかり耳が追いついて、Fukainanaの音楽がとっても上質でめちゃくちゃカッコいいバンドなんだと理解することができた。私はその日のライブで、Fukainanaが産み出す音楽の海の中に少し息ができなくて苦しくなるほど溺れてしまった。

その時の記事↓

 

ポシェット一つ、肩から下げて

 

あんまりにもまっすぐに楽しさも怒りも悲しみも出し切るから気持ちがよくって羨ましくって悔しくもなった。音楽にどっぷり寄りかかって、自分たちにはここしかないって全てを捧げられることは全ての人間には与えられない才能であって、それだけ愛せるものに出会えた運命の姿がそこにはあった。

何か一つだけに重心を預けてしまうことはすごく脆くて危ないことだって気づいてしまったらもう怖くて踏み出せなくなってしまうから、魅了されているうちに、自分がもうそれなしでは生きていけないだなんて気づかぬうちにハマりきってしまったもの勝ちだ。それは時に、ものすごく辛くしんどい時も迎えなきゃいけないけれど、人生の中でそれだけ大きく感情が揺さぶる瞬間があるってだけで豊かで幸せなことだと強く思うから。私は音楽をやっている人たちのそのクッと覚悟を決めた上で身をしっかり沈め、もう何も失うものはないかのように全てを捧げこむ姿にグッときてしまう。私もそうでありたいと強く憧れてしまうのだ。

 

Fukainanaの音楽を聴くと一時間目のプールの授業 まだ汚れていない澄んだ水色の透明の中 前を泳ぐ子のバタ足から生まれる空気の泡に見惚れている時間、卒業間近にふと俯瞰してみたオレンジ色の光が差し込む教室の風景、桜が舞い散る終わりかけの春の匂いを呼び起こす。

色っぽくて、透き通る水の中のようで、夏の花火ように弾けていて、洋画のワンシーンのようにおしゃれなのに、時に青春の一ページのように甘酸っぱく切なさもあって、この世の綺麗を全て濃縮したような時間がある。全員の人柄がすごく優しくってそれが音にも滲み出ている。

最後のライブ、それぞれがそれぞれの方法で思いっきり悔いのないように自分達の奏でる音に浸りきっていて、多くの観客がその姿にうっとりと見惚れていた。なんて幸せそうに音楽をやるんだろうかと涙が込み上げてくる瞬間が何度もあった。

何事にも終わりはつきものだからこんなにもしっかりやりきってたくさんの人に愛され見守られ締めくくることができることは幸せなことかもしれない。

一旦の終わりがあったからこそ生まれた瞬間も音も感情もきっとあって、それに心奪われた人も多くいたことだろう。私が感じ取った切なさもそこから生まれたものだったかもしれない。

終わりがあることが悲しいだけじゃないことは確かだ。終わりがあるからこそ、それまでの時をより輝かせてくれるし、より大切で失いたくないものに見せてくれる。

でももう少し、Fukainanaを知る人が増えて欲しかったし、Fukainanaがどこまで進んでいくのか見たかったし、それをたくさんの人が願っていたから、やっぱり悲しくて惜しいことに変わりはないな。

 

これから先のFukainanaの未来がどうなるかはわからなくてもそれぞれが今のように、音楽を深く愛し続けられる環境でこの先も生きていけるようにと祈っている。きっとFukainanaを知る人全ての人がそう祈っている。好きであり続ける限りまたどこかで必ず繋がれるから。

私はほんの少しの間しか見届けることができなかったけど、そのほんの少しでもわかることはそれぞれの人柄から生まれたあの音楽が本当に多くの人を魅了し、Fukainanaというバンドを本当に心から愛した人がたくさんいるということ。目撃した人たちがずっと忘れることのできないような他のどのバンドにも持ち合わせていない魅力を持ったバンドであったということ。

 

人生これ以上の瞬間はもうないんじゃないかってくらいの景色を何度だって見せてくれたこと、そこから知らなかったたくさんの感情が湧いて味わうことができたことに心から感謝を。

 

そして、またいつか出会えることを願って。

 

2019/9/17 あやちゃん