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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

全人類よバガボンドを読め

「大切なことは全てバガボンドに書いてある」

自動車教習所に通っていた頃、私たちはそう言っていた。見るともなく全体を見るとか、多分そういった事がそう思わせたのだろう。バガボンドを読んでいない人は義務教育なのでちゃんと読んで欲しい。

「運転はバガボンド」

あの頃の私たちは疑うこともなく口々にそう言ってはケラケラ笑っていた。バガボンドを“運転”の中に閉じ込め侮っていた。
余談だが、ポケモンGOが流行った時も「ポケGOはバガボンド」とか言っていた。『俺は殺し合いの螺旋を降りる』と作中のセリフを口にしてLv.5のポッポ等の、雑魚を相手にするのを辞めた。格好つけているが単に手持ちのモンスターボールが3個とかになってしまっただけなのである。そりゃあポッポを相手にしている場合ではない。ポケストップに行け。

話を戻す。
東京に帰って来て私は現実を知った。教科書通りでは通用しないという現実を。円滑に、滞りなく世を回すためには、周りが守っていないルールは守ってはいけないのだ。暗黙に破られているルールを馬鹿正直に守り続ける事など偉くもなんともなく、単に滞りを産むだけなのだ。
教習所のおじさんたちに叩き込まれた“善”はあっけなく無力さを露わにした。
あのおじさんたちは言わば神なのだ。神は純粋な“にんげん”を作る。善を土台に、にんげんを作る。私はそれが全てだと信じ善の塊を核として、自信満々で下界に降り立った。そして穢れを知るのだ。生まれたての赤子が20年も経てば薄汚れてしまうのと同じように。
しかし人生で何年もかけて汚染されてゆく過程が一瞬にして起こったのだ。頭で考えて事象として理解はしているこの「赤子が一生赤子のままではいられない」という当たり前の現実を感覚として突きつけられたのだ。凝縮された緩やかな汚染は人生を想起させ心を殺した。運転とはすなわち人生だったのだ。
勘の良い人はもうお気づきかもしれないが、バガボンドは運転であり、運転とは人生なのである。つまり

「バガボンド=人生」

なのだ。そう気づいた時には自然と本棚のバガボンドに手が伸びていた。読み直そうと思った。
私と同じ年の頃の武蔵はもう既に、京都の名門剣術道場である吉岡一門に殴り込みに行っていた。もう幾度となく命のやり取りを経ていた。
暖房のついた部屋で液晶に向かっている場合ではない。命と向き合え。そして剣豪になるのだ。

“殺し合いの螺旋”から降りて行く人を何人も見た。『降りたい奴は降りれば良い。俺は天下無双になる。』若いね、と笑う大人をいつかの自分にしたくはない。命を全うしろ。まずはソシャゲを辞めて関ヶ原に行かねば。