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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

洗練された動きの人間になりたい

三ヶ月ほど前、免許合宿に軟禁されていた私は“自分の動きを客観的に観察、分析する遊び”を編み出していた。娯楽の無い山の中でひねり出したその遊びは、舞台をやっているからというのも一つ、理由としてあった。
いつもと同じように生活をする。歩いたり座ったり人と話したり、その場その場で行うべき必要最小限の動きに、ポケットに手を入れたり足を組んだり、オプションがつく。さらに細かく全身を以って“雰囲気”が作られる。「フラッとしていてダルそう。」これが自分自身の所作に対する感想だ。

全ての所作が少年と呼ばれる人たちのそれに近いことに気がついた。このことを様々な友人に言ってみたが「知ってた」とあっさり言われた。私が改まってやってみたことは私以外の人間にとって普通の見方なのだから当然だろう。今まで色んな人に男っぽいと言われてきたが、顔立ちや服装だけでそう言う印象を持たれていた訳ではなかったと言うことだ。
どうしようもねえな。というのが正直な感想である。一朝一夕では最早どうしようもないレベルで私は女性性からかけ離れてしまっているのだ。動きのみならず口も悪いときている。まあ別にいいんですけど。

幼い頃から人は他者から自分の印象を言葉として受け取り続ける。そうして自分の“立ち位置”を理解する。「かわいい」と賞賛を受け続けてきた人が自分の利用すべき価値を完全に理解しているように、自分の“キャラクター”然とした在り方がいつの間にか無意識下で作られていく。
つまり極端な話、与える情報を厳選し、外からの刺激を無くした環境で「お前はゴリラだ」と言われ続けた人間は“ゴリラ”になる。ゴリラに最も近い人間として外界に放たれたそいつは、初めてできた“人間”の友達に「お前って、なんかゴリラっぽいよな」と言われるがいまいちピンと来ない。むしろゴリラ度は上がる。無意識の中で肥大したゴリラ性が極限まで高まったところで自我が芽生え始める。思春期の到来だ。初めて好きになった人間に「ゴリラとは付き合えない。ごめん。」と自己を否定され、形容し難い感情が渦巻き三日三晩ドラミングをし続ける。自己を貫き通すか変化すべきかの二択を迫られ、恋の力で人は変わる。否、ゴリラは変わる。人間になる事を決意し、果てしない努力によって理想の自己を形成し人間へと生まれ変わる。外から作られた己を否定し、自分が自分であることを自我を持って証明する。多くの人が経験するであろう人生の葛藤を半端ではない振り幅で乗り越えたそいつは、遂に“人間”になる。
それでも晩年、口癖のようにそいつは言うのだ。
「私が死んだら森へ還してくれ。」と。