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ぱー
waimai
RisuPon
ぽ
メイ
あやちゃん

植物が飼えない話

 

暮らしのハコの中に、じぶん以外の生き物がいるかいないかは大きな問題だ。
人や動物より一緒にいる実感は少ないものの、手っ取り早く生き物を生活に取り入れるのに、植物は最適だと思う。飼ったことありますか?植物。

 

あたりまえだけど、植物は水をあげないでずっと放っておけば枯れる。し、水をあげすぎてもだめになる。すぐしょげる割に、そのリアクションは自分の目がそちらへ向かないと気づかない。
そのヤワさというか、〝みな等しく同じいのち〟とすれば、もう犬とか猫よりずっと扱いが難しいんちゃうか。鳴かへんし、寄ってこんし(植物すり寄ってきたら怖すぎやけど)、動物って生きてると絶対物音するけど、植物は一切音を立てない。
まあ、植物も生き物だから早かれ遅かれいつかは枯れる。命が終わるということ。そんなんわかってる。でも、なるべく枯らしたくない。状態が自分の働きかけによってずいぶん変わる分、飼い主の実直さや怠惰さがもろに現れるのもまた植物だなぁと思う。だから、植物を上手に育てられる人ってすごい信頼できる気がする。(気がするっていうのは、周りにぜったい常に何かしら植物を飼ってる人をあんまり知らないから。笑)

 

わたしは、植物を枯らすことが怖くなってしまった。花屋で鉢植えと対面したまま5分以上おる客がいたら、多分、それわたしや思う。
以前は、ワイヤープランツを飼ってた。最初の頃、それはそれは大事に育てていました。しばらくして、そいつがおるのに慣れてきたのと、外のことで忙しくなってきた。プラス、『ワイヤープランツの育て方』みたいな記事を読んだときに、水のやりすぎに注意って書いてあって、水やりすぎてるかもな、と、しばらく放置した。
そしたら完全に放置しすぎた。一面みどりやった鉢植えが、なんということでしょう、枯れ葉ではありませんか!白髪のじいちゃんかよってなるほど見事に枯らしてしまった。

 

でもね、本当は、一度水をやらなくなってから、あ、もう枯れてきてるやん〜もう水やってもあかんかな、根腐れするだけかな。ならいいか、もういいか、ってなんか見ないようになってしまってた気がするんよね。もうそれって立派な植物ネグレクトやん。本当は上手に育てれば何年も楽しめるはずやのに一年ももたへんかった。ちなみに、ワイヤープランツの花言葉、気になる人は調べてみてください。そういうん、やっぱこう態度とか性格表われるよな、生活習慣ってほんまにヒントや。

 

そう、それからは生の植物は飼わなくなって、代わりにドライフラワーを並べるようになった。ほとんど手入れがいらないので。
けど、生きた植物飼いたいなあってまた最近思うようになってきて、花屋に足を運んでステキなのに出会うそのたびに、わたしのとこじゃなくて、大切に育てられる人のところに行った方がこの子はしあわせになれるやろうなと思って、一度手に取った鉢をその場ですぐ戻してきた。何度も何度も。

 

「絶対傷つけない」が優しさじゃなくて、「傷つけるかもしれないけど絶対挽回するから信じて」が優しさというか、紛れも無い人間関係。傷付けることすらできない距離なんて、傷付ける覚悟すら持てない誠実なんて、真っ暗な宇宙にずっと一人きりと一緒だ。「私を信じて」以上の愛を私は知らない。

 

というツイートをこないだ偶然誰かしらのリツイートかなんかで見かけて、ハッとした。
結局、責任感や、傷つきたくないだとかやさしくありたいという保守サイドの気持ちが強すぎて、その保守の気持ちが破られた先のことなんか考えてへんかった。だからもう枯れてきたしええかじゃなくて、手を替え品を替えやってみて、それでもあかんかったら、また新しい鉢を買ってきてもう一度育ててみるとか。イーブンで取り返しに行く攻めの気持ちも同時に持ち合わせてなかったんやなと思った。で、それが出来ひんと、まさしくこの真っ暗な宇宙みたいな気持ちからは抜け出せへんのやろう。あー。わたくしに足りていないのは、まさしくこの感覚なんや。

 

宇宙がいいという素朴だった気持ちも宇宙でええわみたいな気持ちになってないかと、いささかクエスチョンな感じするし、もう一度試してみたいので、つぎ気に入った植物があれば積極的にわたしの暮らしのハコに連れてきたい。この宇宙をどこかへつなぐE.T.的な存在になってくれ。目標は年単位でもたせること。あかんかったらくよくよせんとまた次のお気に入りを飼うこと。

 

waimai 一月十六日